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【ふ】
複雑な 想いを抑え 小出しせよ |
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人格というものは器という言葉で表現されることがあります。 器には器なりの容量があります。 これと同じような意味合いで、人格(器)にも容量があり、それがその人の認識の枠となって、総ての言動の基礎に当たる部分になります。 当然のことながら人によって人格(器)の容量が違います。 心が広い人も居れば狭い人も居る…。 これは心が広いから良いというものではないが、狭いから良いというものでもありません。 やはり利点欠点は何処にでも付き纏うものなのです。 また心は豊かでありたいですが、様々な心模様を熟知しているがゆえに臆病になる場合もあるのです。 他人の気持ちが手に取るように解ると、同悲同喜の心が無いならば、無関心を装う世捨人になる。 やはり心は扱う人の徳性(善用使途)によって、正しく運用されるべきであります。 方や心の容量が狭い人は傍目から見れば、非常に分かりやすく扱いやすい人でもある。 たとえ我欲の強い人であっても、策略などの隠し処がない分だけ対策も安易になります。 要するに人格(器)の大小よりも、器の中身に何が入っているか、また何れぐらい満たされているか、どの様に扱っているか…。 こうした徳性こそを重視する必要があります。 容量が一杯になるとパニックを起こし兼ねないのが人間でもある。 そんな時には自発的努力で容量拡大をするか、心の浄化(整理整頓)をして容量に余裕を作る…。 こうした内部整理は、心の持ち主である自分が行うものなのです。 もはや無法地帯となった心の惨状を、真正面から確認することは、今までにない勇気が必要かも知れません。 しかしこのまま心の世界を野放しすれば、近年まさに増え続ける残虐事件の低年齢化さえ、食い止めることが出来ないでしょう。 溜まりに溜まった不条理な衝動(うっぶん)を、抑えきれずに爆発させる若者たち…。 キレる行為を武勇伝の如く勘違いする蛮勇。 総ては今まで心の法則を教えてこなかった大人たちにも、大いに責任があるはずなのです。 そうした大人たちも徳育が断たれた時代の被害者ではありますが、今からでも遅くはありません。 心の法則を学び、徳育を修して、子供たちの未来に明るい希望を残して致だきたい。 |
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