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【ほ】
頬寄せて 微笑む顔に 幸多し |
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誰もが幸せを求めるけれど、幸せって何なのかを正確に言い表せる人は少ないはずです。 大抵の人が言葉にする幸せは、物理的事物の獲得が多く、その奥底に隠れている本当の幸せに気付いている人であっても、言葉を超えた心の領域を正確に把握している訳ではない…。 形を越えた心の幸せを実感していても、それを正しく表現出来るのは覚者だけです。 覚者は諸々の人間関係に塗れながら、それらの人間模様に染まることなく純粋な個性を維持継続できるのです。 それは彼等が心の浄化を怠らず行ない、それでいて現状の環境内に同居する人々の気持ちを配慮しながら、分相応の対応を心掛けて生きているからです。 これは正確な覚醒と高度な技量を持ち合わせていなければ、臨機応変な対応は難しい問題で、大方の人は自我を押し通したり無関心を装ったり、一歩進んだ人であっても自分の範疇で妥協して区切ることが多いでしょう。 覚者は相手の現状を一瞬で見抜くため、相手にとって最も良い解決策も同時に観えるのです。 しかしここからが覚者の徳性具合(段階)によって対応が異なり、徳者は直ぐさまアドバイスをして改めさせるが、高徳者は把握した相手の現状(過去・現在・未来)から逆算して最も良い時期を待ってから言葉を投げ掛けます。 しかも高徳者はアドバイスよりも本人が自分で問題点を気付けるような誘導(導き)をしながら、相手の現状の心境と同じ立場で寄り添うのです。 かくして問題を抱えた本人は、自力で人生の課題を乗り越えたように感ずるであろうが、高徳者の配慮によりて陰に日向に導かれているのです。 これは高徳者に於いても同じであり、彼等とて守護霊や指導霊の配慮で陰に日向に導かれていることを知っている…。 こうして愛も大循環を果たしているのです。 純粋な個性に立ち返れば幸せが何たるかは実観(直接把握)できるのです。 純粋な幼児は邪な知恵が無い間は、その笑顔だけで幸せが何たるかを実感しています。 魂の安堵感を共有するだけでも真なる喜びを感じている。 人生には魂の本質を歪めるものが溢れています。 そうした土壌(人間模様)を潜り抜けても、尚一層の透明度を保ち続ける泉の聖水…。 それが心の法則を学ぶ者の理想でなければならないのです。 |
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