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【判断】実相流転(天⇒地) |
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【 見 証 】
それでは判断の理念を見失なった場合、その理念を取り戻すための段階論を語ってみることにします。 まず最初に取り組むべきものは『見証』です。 この段階に於いての『見証』は単なる傍観者でも構いません。 傍観者と言っても肉眼でボンヤリ見ているという訳ではなく、心の中に見い出せる解決策を見渡す訓練をすると言うことです。 物事の良否判断が問われる際に、どの様な選択肢があるかを想い付くだけ総て並べてみると言うことです。 この最初の段階に於いて深読みし過ぎると発想自体が単一化して、同じ想像経路を堂々巡りすることになります。 どの様な選択肢を選んでも必ず善し悪しは存在するので、大抵の人は悪しき障害が見えると、その道(選択肢)を簡単に捨ててしまいがちです。 選択肢から外された解決策は浮かばれないまま闇に封じ込まれています。 繰り返し言いますが、どの様な選択を選んでも必ず善し悪しは存在する…。 つまり悪しき部分に何らかの対策を入れれば善き部分が生きてくると言うことです。 ですから『見証』の段階では深読みし過ぎず、取り掛かりの一歩目が幾つあるか、その道筋が何本あるかを確認する程度で良いと言うことです。 常識で考えても有り得ないような道筋(解決策)であっても、時が流れて状況が変われば将来の自分を助ける場合も有り得ます。 一筋ごとの道(解決策)を深めるのは次の徳目段階として、一つでも多くの選択肢を列挙することから始めて致だきたい。 それらの選択肢を忘れないために記録を残すということも必要かもしれません。 旅人が旅行プランを模索する際に目的地を何処にしようか、移動手段は何にしようか、楽しみながら地図を覗き込むように、目的や手段を考えられるだけ挙げてみることです。 この初期段階で予算や日程や好き嫌いなどを拘り過ぎると、大切な主目的を見失なったまま堂々巡りすることになるのです。 ここでの発想のコツは、自分の現状での立場を外してみると言うこと…。 一個人の現状には限界が多いため、個人的な制約を立脚点にすると、どうしても発想が貧困になります。 意外な着眼点は自我を超えた発想の中にある。 より多くの選択肢を見い出して豊かな心を育んで下さい。 常に新たな発想が生み出される土壌には、心を解放した自由自在な遊び心も必要かもしれません。 判断の理念を取り戻すための段階論として、最初に『見証』の徳目段階を語りました。 判断力の基礎に発想力があると言うことを忘れないでいて下さい。 そしてこの発想力も訓練を積むことで限りなく高まってゆくものなのです。
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