判断五大要素

 

【 納 得 】

 

人間が普段の生活に於いて最も身近な問題として連れ添っているものは、おそらく物事の良否判断ではないでしょうか。

それと共に人間としての質(人格)の違いが最も判別するのも判断力である…。

この判断力は魂の領域に於ける智力を司り、行く末は悟りに繋がる重要な部分でもあります。

従って実相世界の判断の理念を体現することが、徳性開発に臨む徳者たちの悟りへの階梯になると言うことです。

まず【判断】の五大要素が何かと言いますと@『納得』A『認識』B『縫合』C『値打』D『乗換』です。

最初に一つ目の『納得』についてですが、物事の判断には帰結地点があって、その着地点に達して始めて解決するものですが、なかなか選択を決し得ないのも人間の性かも知れません。

そこで取り敢えず途中経過としての判断基準を打ち立てて、出来る処まで実践してみて、また次の判断に委ねることになるのでしょう。

かくして選択肢はアミダクジのように最後まで本当の正否が判り辛いものが多く、そのため人々は判断に戸惑い、または判断を過信暴走して大破する場合もあるのです。

ゆえに判断の理念には『納得』させられる判断基準が必要になります。

成る程…と言える得心を得なければ不安を道連れとした行動を取らなければならず、しかもその迷いが行動力を弱める原因にもなっています。

しかし納得できる解答を得ることは少ないかも知れません。

そこが個別化(多角的な価値観)された地上世界の難しい部分なのであります。

一個人としての判断であれば正か否かの白黒裁決で十分かも知れませんが、不特定多数の人間関係の中に於いては、正論が傍流になったり、異論が正論になったり様々です。

地上世界の人間社会では核心が持てる納得は得難い状況で、そのため地上世界に現れて来たものが民主主義でありました。

不特定多数の支持を得たものを総意とする民衆政治は、平等という概念の下に輩出されたようですが、これが公平という概念から考察すると甚だ怪しい主義主張に観じられます。

それは同じ一つの議題を、老人と子供に分けて裁決させれば判りますが、年齢を重ねた知見の広さを持つ老人たちと、家族の庇護の下で遊びを主とする子供たちとでは、感性も知性も大きな差異があるため、選択肢も変わって当然であります。

時代は21世紀を迎え、著しい科学の進化は生活水準を底上げしてくれましたが、魂の生長に繋がる人間力はむしろ低下している…。

我流を個性と勘違いしたまま良しとする人間が増え、主権を利権として欲得願望を行使する人間が大多数を占めた社会で多数決を取って裁決したなら、予想される結果は我儘社会であり、もっとハッキリ表現すれば行く末は地獄絵図が展開すると言うことです。

つまり納得するべき解答は本来は地上世界には無く、実相世界にこそ実在すると言うことを知らなければならないのです。

正しい『判断』の理念は実相世界から振り降ろされるのであります。

 

 

 徳性開発十大理念【判断】【継続】