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【感謝】実相流転(天⇒地) |
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【 懺 悔 】
人間は自我が強くなると感謝の理念(想い)を忘却して、自尊心や優越感に溺れることも少なくないはずです。 ここが個性化の泣き所かもしれませんが、自らの能力が高まれば高まる程に謙虚さが深まるようでなければ、危険極まりない人物に陥るので注意が必要です。 その危険な要素を回避するためにも感謝の気持ちを忘れてはならない…。 感謝するということは相手(対象の本来の姿)を100%の善性として認めると言うことです。 現状の問題点は如何ともし難い状況であっても、本来の相手の善性を認めるからこそ変革を求めるのであり、ここで相手を悪性としてのみ認めてしまうと泥沼な闘いが営々と続くのみであります。 お互いの感謝の念(泉)は底を付いて乾き、誰も何も信じられない漆黒の闇(孤独)に収まり、ますます自我は頑なな固執に取り巻かれて、やがて身動きのとれない頑固者(偏屈物)になりがちであります。 こうした心の堕落を何処かで回避しなければならないのです。 高徳者たちは常日頃から反省行を通して魂の堕落を回避していますが、それでも十分な反省が出来なくなると荒業を敢行します。 荒業といっても滝に打たれる訳ではありません。 この場面での荒業は『懺悔』を意味しています。 『懺悔』とは心底から詫びることですが、古来から伝わる日本神道では『禊払』(みそぎはらい)として行なわれてきた行法であります。 徳性開発に於いても重要な徳目になりますが、感謝の徳性も実相世界から天降った神法の一つである以上は、高徳者たちには附帯義務があると言わざる負えません。 生命の実相が純粋無垢なる光(神の子)であるなら、その光(神の子の性質)を塞ぐような付着物(自我我欲)を一つずつ剥ぎ落としてゆくしかないのです。 本来の神の子の自覚を深めながら身に染み付いた垢(慾望)や滲(保身)を洗い落とす作業を怠ってはならないのです。 この地道な作業を放棄して奈落の底に落ちて行った者も数知れず…。 五毒(我欲・欺瞞・愚弄・下劣・傲慢)の衣服を身に付けて息巻いていると、重苦しい精神重圧に耐えきれなくなって更に他の付着物に縋り付く惨めな人間になり反省などは縁遠くなります。 手遅れになる前に『懺悔』の徳目を地道に積み重ねる必要があります。 『懺悔』には大懺悔・中懺悔・小懺悔とあり、小懺悔は常日頃の反省行に当たります。 中懺悔は個人的な自己限定の殻を破り棄てることであり、徳性求道者たちは周期を決めて執り行っているものです。 もはや大懺悔に至っては高徳者の範疇であり、中懺悔を積み重ねてきた実績がないと立ち入れない聖域であります。 これは恐らく『汝らの敵を愛せよ』と説法されたイエス・キリストの境地になりますので、人生そのものが常人では理解出来ない生き方であり、地上世界では大使命を抱いて生きる救世主の徳性段階であります。 徳性開発に於いては地道に反省行(小懺悔)を重ね、周期的な禊払(中懺悔)を重ねながら、心の世界では天地一切の総てのものとの和解を目指して、相手(対象)に対する感謝の気持ちを深める努力を持続すること…。 そうして見事に本来の天理である感謝の理念を取り戻し、報恩感謝行を自然に実践できる徳性を磨いて致だきたい。
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