【新生】実相流転(地⇒天)

 

【 成 長 】

 

新生の徳性を体現するためには、足場固めとなる反省回顧が必要であるということで、『反省』顧みる『剥離』切り捨てる『置換』悔い改める『自覚』決意する『実践』行動する…という段階論を語ってまいりました。

ここまでの精神的作業が反省回顧であり、こうした一連の足場固めによって打たれ強い心の基礎が育まれるのです。

この心的基礎精神を足場として、本来の新生の局面に入ってゆくことになります。

まず最初に必要な心構えは『成長』向上する…という精神です。

反省回顧が板に付いてくると、ある種の達成感が感じられるため、それでその後の努力を止めてしまう人が多いのです。

反省回顧が本物であればあるほど小さな範囲での悟りの境地を味わうため、そこが到達地点(終着駅)だと勘違いしがちであります。

しかしそこはゴールではないのです。

その小さな悟りの境地は残念ながら(とんとく)の悟りであり、そのまま過去の記憶となって何時しか忘れ去られる運命であります。

それを忘れ去らないための心構えが『成長』向上する…なのです。

向上心が無ければ人は普段の生活の中に埋没するだけで、それだけで精一杯の人生になるでしょう。

また過去の達成感だけを金科玉条の如く引きずりながら、かろうじて自分の威信を保つことで精一杯になります。

こうしたことは徳性求道者から見れば一目瞭然で、誠に情けない姿に見えるのであります。

彼らに必要なものは向上心であり過去の栄光ではないのです。

ここにも謙虚の徳性が見え隠れするわけですが、謙虚の徳性は正に基礎精神であり、総ての徳性に通ずる永遠なる本体であります。

自らが高まったと思えるなら尚一層、頭を低くして謙虚に前向きに次なるステップを目指すべきであります。

終わりなき旅路…これこそが永遠の生命として輪廻転生を繰り返す人間の生き様であるはず…。

ここにも信仰心の深さ淡さが試されるわけですが、無限なる神・永遠なる神を信ずるか、有限なる神・偶像なる神を信ずるかで、時間空間を超越出来るか出来ないかが試されているのです。

何処までも向上心を持って地道に歩む心掛けが大切であります。

大方の人が向上心を維持出来ない理由は、精神面の基礎研鑽が疎かであるために頭を擡げた驕り高ぶりが原因になっています。

繁栄に驕り高ぶれば衰退堕落も早く深刻です。

十分な反省回顧もなく偽りの繁栄を得た世紀末(20世紀)は、その後の長い低迷を迎えています。

もともと繁栄という言葉は永遠と同義でなければならないのです。

なぜなら繁栄は大神の御神体でもあるからなのです。

つまり神の子の自覚なくして本来の繁栄は有り得ないということです。

そのための反省回顧であり、そのための新生であり、真なる新生の局面を体現するために、反省回顧の足場固めを通した向上心を持ち続けるということです。

ここで向上心とは何ぞやということですが、自分だけを高めようとすると何時しか傲慢(驕り高ぶり)の芽が出てきます。

それでは反省回顧の意味がありません。

苦しいながらも乗り越えてきた諸々の問題を(その克服体験を)これからは同種の悩み苦しみの渦中に居る人々を手助けするために、進んで克服体験を活用してゆかんとする気持ちの持続です。

時代精神そのものを底上げしなけれは、単体での向上進化は難しいし、むしろ差別値による争いが多発しがちであります。

急速に新興宗教が輩出した世紀末には、真理悟得の差別値により数々の戦火が起こり、現在もなお世界の何処かで殺戮が繰り返されている…。

これは向上心を個人の主義主張に置き換えた巧妙な罠でありました。

 

 

徳性開発十大理念【仁徳】【新生】