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【三観指針】 |
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【三観指針】探究@
探究の理念を体現した高徳者たちは、霊的に見れば常に狙われた存在であります。 現象界は兎も角としても霊界には存在を露わにされたくない霊世界もあります。 陰に伏す世界には自らの悪業を闇に隠す魔界もあり、彼らは自らの悪を目立たぬようにするために進んで周囲を汚し、身の汚濁を少しでも正統化しようと企んでいます。 彼らがそのような衝動を回避出来ない理由は案外浅い処に有りがちで、その多くは利己心に辿り着きます。 善なる才覚が薄いまま利己心が強くなると、その不足の充足のために他者への依頼心が強くなります。 その時点で巻き起こる人間関係に於いては猜疑心や執着心が増すため、小言(不平不満)が多くなるのです。 それでも魔界の住人は自らの正統性を主張するのです。 このような魂の傾向性は単に自尊心の現れで有りまして、単純に言えば自己都合(自己中心)の権化に他なりません。 こうした魔界の住人が地上界の人間に襲い掛かって人心を狂わせる悪業を繰り返しています。 そうした彼らにとって邪魔な人間は人心を善導する高徳者や、自らの悪業を明るみにする探究者であると言うことです。 つまり冒頭でも挙げましたが、探究の理念を体現した高徳者たちは霊的には常に狙われた存在である…。 この事実を受け止めた上で日々の努力精進に取り組む必要があります。 徳性が高まってくると頭を擡げるものが慢心であります。 この慢心は自己評価の誉れに留まらず、その後の努力精進を疎かにさせる毒酒でもある。 この毒酒に深酔いすると悪態を付いたり他者批判を重ねたり、自分自身の魂の傾向性を歪めるだけに留まらず、周囲の人々を巻き添えにする悪業を重ねるのであります。 彼らに足りないものは自責の念であり、そこから発生する反省回顧の習慣であります。 悪魔は反省が出来ないのです。 そうした悪魔に憑依された人間も反省が出来ない状態になっております。 人間は神仰心(信仰心)を失うと魂も動物化してしまいます。 動物化した人間の衝動は刹那的であり、刹那であるがために自我常識を固辞するのです。 要するに神仰心(信仰心)を見失ってはならないと言うことで、そのためにも反省回顧が必要になります。 謙虚に慎ましく生きる人にしか解らない聖地(安全地帯)があり、この聖地を堅持することで益々徳性は高まるのです。 人生は地上倫理のみで展開しているのではなく、霊的倫理の影響も受けながら展開していると言うことも受け止めなければならないのです。 もはや21世紀の霊学に於いては盲目的意識に対する理論は改変される運命にある。 心の中が見えないから何でも有りという幼い時代は通り過ぎようとしています。
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