【み】 

 

見渡せば 此の世は総て 生かし合い

 

 

総ての造形には形態なりの意味があります。

コップは水溶液を小分けして食生活に役立てたいという願い(目的)で創られ、靴は安全で快適な歩行に役立てたいという想い(目的)で創られたのです。

もちろんコップを他の用途(一輪挿しや装飾品等)に代用することは可能ですが、最初にコップを創造した人は何処かの(誰かの)生活の手助けになれば…と考えたはずなのです。

総ての創造は愛の想いから始まりました。

それを多用途に使って悪用するのは愚かな人間の浅知恵である…。

爆弾も原子力も薬品も、人間の生活に利便性を追求したからこそ創造されたのです。

それらを戦争兵器に悪用したのは心ない人間でありました。

人や物品を速く遠くまで運んであげたいという想いが鉄道や物流網を世界中に張り巡らせ、遠くの誰かと手軽に交流させてあげたいという想いが電話やインターネットを可能にしたのです。

信号も横断歩道も路側帯も、拡大する車社会の中で、歩行者の安全を守るために創造されたシステムでありルールであります。

そうしたルールを我儘に無視する身勝手人間が、悲惨な事故を誘発して善良な被害者の命(人生)を奪っております。

総ての創造物を、創造の太処にあった愛の想い(正しい使用目的)に帰想させる必要がある。

自己流の我儘な判断で、身勝手な解釈に捻じ曲げることで世の中のモラルを低下させ、立法や刑法を複雑化させたのは誰なのか…。

相手の気持ちを理解して純粋な心で相互に交流していたなら民法すら必要が無くなります。

利権(我欲)に執着しなければ裁判所さえも必要が無くなるのです。

総ての創造の太処に帰想して、その創造の意図(かくの如く使ってほしい…)のままに正しく取り扱うべきであります。

釈尊が悟られた三川草木国土悉皆成仏という真理は、まさに総ての物事の真髄を観られたのであって、御仏の慈愛による創造の太処に立ち返れば、本来の地上世界は既に極楽浄土であるとお悟りになられたのであります。

 

 

 

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