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【む】
難しい 理屈を捏ねず 無心たれ |
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物事の真相は、常に心の奥深くにあります。 心の最果てから真実を引き出してくる際に、現実問題として形(あるいは言葉)にするまでに、それなりの手順と時間が掛かります。 そのタイムラグの段階で他者からの批判中傷(挙げ足取り)を浴びることは多いでしょう。 残念ながら挙げ足取りをする人は、心の浅い処で思考が彷徨っている…。 会話に於いても相手の話を深く理解しないまま、一言目(表層部分)から反論を入れるのは、身体の痒い部分を直ぐさま掻き毟るが、痒みの原因を調べようとしないのと同じであります。 かくして彼は永遠に痒みの奴隷となり、物事の真実が分からないまま表面的な解釈に引っ掛かり囚われるのです。 こうした思考浅き人間ほど軽口が多く、他者の気持ちを配慮せず言いたい放題に振る舞うのです。 また困ったことに他者口撃するための知識だけは多く溜め込んでいる。 こうして必然的に理屈の宝庫となっています。 人間には口が一つしかないが耳は二つあります。 これは自分が話す言葉の倍は相手の話を聞きなさいと言うことなのです。 他者の気持ちを配慮するためには、心のフィルターを通して理解することになりますが、この自我フィルターが個人的な拘り囚われという埃や汚れで目詰まりすると、相手の言葉の冒頭から感情が引っ掛かり、意味の無い(真相には程遠い)部分で無駄な論争を始めるのです。 溜め込んだ知識の使い方を誤ると、理屈では正義であっても無謀な罪作りになり易いので注意が必要です。 本来の正統性は心の奥深くにあり、その想いを現実に表す術は無数にあるのです。 自分だけの主義主張が正しいのではなく、人によって心境(個人差)に合わせた時間の経過と場所の相違があると言うことです。 要するに対話をする場合は、まず相手の話を無心(目詰まりの無い心のフィルター)で聞き入れ、その主旨を理解することから始めなければならない…。 相手の心の奥深くにある真相を理解したなら、そこで最も相手に必要な知識を取り出して、順序立てて語り始めれば良いのです。 そうした心の調整(徳性)を使いこなせる人であれば、知識量が多ければ多いほど博識であると認めて良いでしょう。 |
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