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惜しまれる 徳者は既に 過去の人

 

 

学校教育の中から真なる徳育が失われ、企業倫理の中から社会人としての人格形成が見失われ、普段の家庭生活からも心の法則が顧みられなくなり、人としての心の生長段階は、外部から判断しづらくなりました。

欲望が渦巻く社会では、一部の強欲者が職権を乱用して、都合の良い者を徴用し、都合の悪い者は排除してきたはずです。

結果的に良識者ほど疎外される運命になるわけです。

世の中にはブラック企業と噂される会社がありますが、そうした会社には中軸を担う大切なポジションに我の強い者が座っています。

そうして彼にとって都合の良い人事が展開しているため、同じような野心の強い者が会社を運営することになります。

ここにも心の法則が働いていて、同類相通ずる因果関係が自己展開しているのです。

そうした中にも時折り徳性を有した人が存在することがあります。

彼(徳者)には彼特有の使命があって、とある目的の為に紛れ込んでいます。

会社の業績も徳者が存在する間は、不思議と上昇傾向にあるのですが、これは徳者の地道な努力精進が人間関係に影響を及ぼした結果である…。

こうした影なる努力は、心を見失った経営陣には評価出来るはずもなく、

それを徳者自身も知っているため、詰まるところ必然的に課題の卒業を迎えることになります。

その去り方も華々しいものではなく、徳者らしい身の引き方で質素に去り行くのです。

殆どの人が彼の人格に気付かないまま今生の別れとなる。

時には彼の人格の大きさに気付く人も居るのですが、大抵は徳者が立ち去った後になります。

同時代(同環境)に共存する人たちは、どうしても視点が自己尺度になるため、徳者が身近に居過ぎると見えなくなるものが多くなります。

しかし徳性を磨いている者には同じ徳性が解るのです。

より多くの人々に徳性を学ぶ機会が増えれば、高徳者が貢献する土壌も増えるでしょう。

こうした観点から見れば本当の師弟関係は、後の世の良識者たちでなければ正しく認定することは難しいでしょう。

人生を懸けて使命に邁進する師には、同じく人生を懸けて師を追い求める弟子が居着くからです。

 

 

 

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