【ろ】 

 

論ずより 行い正し 徳を積め

 

 

20世紀は知性の時代でありました。

21世紀は霊性の時代になるはずです。

21世紀が知性の時代を嫌う理由は、知性は人間から心を忘却させたからです。

心が主体であるはずの人間が、いつしか目先の知恵に翻弄され、不完全なまま構築されたルールに縛られて、ほぼ隷属的立場に堕している。

これは霊性を失った哀れな人間の末路なのです。

とくに言葉による知性は実態もないまま一人歩きをして、人生に足枷を付け自縄自縛なさしめる事実は、誠に病的な現状だと言わざる負えません。

根拠のないルール、その場凌ぎの言い逃れ、責任を取れない者が重職に着き、重荷だけを部下に背負わせる風潮は、未だ20世紀の負の遺産を引きずっているのです。

戦後の日本は心を見失ない感情の奴隷となった高度成長期の末路に、バブルの崩壊とともに目覚める必要がありました。

しかし魂の目覚めは果たされず、数々の予言書を正当化するかのように大災害(自然界の怒り)を自ら招いたのです。

現代人が知らなければならないことは、知恵と智恵は違うものだということです。

多くを知っているだけでは智恵ではなく、それは単なる知識の集積でしかない。

知識とは外部から得た材料に他ならず、料理に例えれば食材に当たります。

食材を集めただけでは料理にはならず、それらの食材を切り刻み加工して煮たり焼いたりしながら、料理人の個性的な工夫を盛り込んで調理されるのです。

その時に調理人には経験を伴なった智恵が身に付き、その料理に費やした経験値(智恵)は食事をする者に感動を与えるでしょう。

これはまさに知恵と智恵は違うものだということの例えに過ぎませんが、この知恵を智恵にまで高めるものが、本来の人間に具わっている霊性なのです。

この霊性は智恵を更に昇華させて、宇宙の叡智に導く程の潜在力があります。

これらの話から伝えたいことは、知識の集積だけでは不完全な知恵であるということ…。

知っているというだけで借り物の知恵を他者に押し付ける前に、同じ知恵を用いて自らの人格を磨く努力を見せる必要があります。

徳ある者は不言実行。

徳なき者は有言不実行。

この違いだけでも霊性の現状(人格の高下)は判断出来るのです。

 

 

 

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