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02 希望の光 |
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登りゆく朝日を追い掛け、沈みゆく夕日を見送り、日々の生活の中で、貴方よ何を想う…。 朝、家を飛び出し、満員電車に揺られ、俯き声を潜めて職場(学校)へと赴く貴方よ、いったい何を想うのか…。 いつも太陽の光を降り注がれ、青い空の鮮やかな調べを其の身に受け、爽やかな風に心を洗われ、ひっそりと咲いた一輪の花の微笑みが、其処に佇んでいるにも関わらず、何時しか気にも止めず、感動することをも忘れ果てて、虚しく生きてはいないであろうか。 感動(ときめき)は何処か遠くにあるのではなく、貴方の身の周りに寄り添っている。 そしてそれらに気付く貴方の心の中に感動は秘められている。 貴方は何時も感動(ときめき)に包まれているのだ。 それとも貴方は何か物理的な刺激を受けなければ、感動心(ときめくこころ)が湧かないとでも言うのであろうか。 刺激から得るものは刺激でしかなく、それは本来の心の純真さを、見失っている証拠でもある。 堅く閉ざした心の扉を、大木を用いて体当たりしている姿にも似ている。 しかし剛は剛に強く、固き扉はビクともしないであろう…。 時には心の扉が開きかけたとしても、またすぐに日々の生活の中で閉ざされてゆくものである。 しかし本当は心の扉は、いとも簡単に開くのだ。 貴方の心を明るく素直に働かせばよいのである。 そう、つまり明るい未来(希望)を想い描けば良いのである。 希望とは想い描きである。 希望の無い人生とは、深夜(迷い)の道(日々)を前照灯(ヘッドライト)を点けずに走っている車に似ている。 前照灯にて道路(前途)を照らしていないが為に視界が効かず、闇に対して不安となり、その走行(足取り)が疎かになるのである。 そして立ち止まり右往左往している人が多いことは、誠に残念なことである。 前照灯(希望)で道(未来)を照らし出すからこそ、前途(未来)の視界(展望)が開けゆくのである。 そればかりか道(前途)を塞ぐ障害物(苦難困難)をも、事前に確認できるのである。 その障害物(苦難困難)に近付くまでに、それら障害を取り去るか回避するかを前もって、あれこれと対策を練ることが出来るのである。 前照灯(希望)の広さが心を豊かにし、前照灯(希望)の強さが夢(心)を高めてゆくのである。 貴方よ夢を持て。 そしてその夢に希望せよ…。 希望というものを何処か遠くに、虚ろに漂うものとして捉えてはならないのである。 希望とは貴方の生命そのものだ。 希望こそ言葉(生命)の本質であり、希望こそ貴方そのものである。 貴方の心の中には伸縮自在なスクリーン(キャンパス)があり、想えば果てしなき宇宙にまで広がり、思えば砂の一粒よりも小さくなる…。 貴方の夢追い里(心のキャンパス)は貴方だけの世界(スクリーン)であり、貴方が描く夢の大きさを、例え誰であろうと規制することは出来ないのである。 貴方はいったい誰に遠慮するのか…。 貴方はいったい何に怯えるのか…。 貴方にも夢追い里(心のキャンパス)があり、貴方なりの夢の世界を描いてゆけるのである。 描け、描け、描け…。 貴方の筆(心)には神秘な力が具わっている。 七色の色彩を駆使して、明るい希望を光の絵の具で彩ってゆけ…。 世の中を見よ…。 暗く俯き、その日暮らしに埋没している人の何と多きことか。 そればかりか互いに罵り、傷つけ合うことを笑いと誤解している人の多きことを…。 或る男優は言った『笑いは神に最も近いのだ…』と。 そう、貴方の仰る通りである。 しかし人を罵り、蔑み、陥れ、窮地に追い込んだ姿を見て笑う『笑い』は、神から最も遠いものであるということも知らなくてはならない。 本当の明るさ、本当の笑いは、あ互いを理解し、相手の立場を尊ぶ中から創み出されてくるのである。 そうだ、笑いの世界にも愛(神)が働きたもうのである。 世の中の誤解を浄化するためにも、貴方の明るい希望の想い描きが必要なのだ。 少なくともこの文章(縁)に触れている人たちは、類が類を呼び、友が友を呼び、使命観が使命観を呼び合って、こうして此処に集っているのである。 心の法則(縁起の理法)は、誠に正直に現象を映し出し、働きかけてくるのである。 希望を描くことに金銭が必要であろうか…。 希望を描くときに、いったい何の道具が要ると言うのであろうか…。 希望を描くことに、特定の場所が無ければならないのであろうか…。 何も要らないのだ。 総ては貴方の心の中に、既に用意されているのである。 貴方は貴方の夢追い里(心のキャンパス)に、里帰りする(視点を移す)だけでよいのである。 貴方は夢を描いて描いて描き続け、信念にまで高まる程に、希望を描き続ける必要がある。 貴方の生命の躍動を見せ続けてほしい…。 貴方の心の輝きを現し続けてほしい…。 |