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05 遙かなる旅路 |
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過ぎ去りし日々を重ねてきた貴方よ…。 始まりゆく今日を踏み締めている貴方よ…。 遙かなる未来を遠く望む貴方よ…。 貴方の歩む道(夢)は永遠である。 貴方の歩む道(愛)は無限である。 未だ誰も果たし得ない理想をこそ、貴方は遠大なる心で描くべきなのだ。 今日明日に実現を望むような夢などは、貴方の前途に展開して当然なのだ。 そんなちっぽけな夢など実現して当然であるのだ。 貴方が描く夢は、そんなちっぽけな所に在るのではなく、遙かに遠く大いなる旅路(理想)でなければならないのである。 貴方はジグソーパズルを知っているか…。 何百ピース・何千ピースのパズルを、一つ一つ繋ぎ合わせて、全体としての絵柄を完成してゆく訳だが、その一つ一つのパズル(ピース)だけでは、全体としての絵柄が何であるかを推測することは難しいであろう…。 けれどもそのパズルを、二つ三つと繋ぎ合わせてゆくうちに、徐々に全体としての絵柄(形)が明らかとなるのである。 これら一つ一つのパズル(ピース)こそ、いま貴方が接している環境であると言えるのだ。 現在、貴方が接している環境は数多いはずである。 親兄弟たちとの家庭環境しかり、友人知人どうしでの交友環境しかり、仕事あるいは学業での仲間どうしの環境しかり…。 それぞれの環境(パズル)の深い意味を探り、一つ二つと繋ぎ合わせてゆく時に、また貴方の人生(ジグソーパズル)の全体像(絵柄)が、尚さら広く開かれて来て、其処に秘めたる愛の想いの深みを、見渡すことが出来るようになるのである。 貴方は一つ一つの環境(物事)の意味を、深く深く探らねばならない…。 そして二つ三つと環境(物事)と環境(物事)とを繋ぎ合わせて、貴方の本当の人生(夢追い)を、確かに見い出して行く必要があるのだ。 急ぐ必要はない…。 けれども遅れてはならない…。 仏教には中道という精神があるし、儒教には中庸という精神がある。 日本の神道(かんながらのみち)には中津瀬の精神があるのだ。 何れの言葉(道)も貴方の歩調(ペース)に、最も適した歩みをせよと説いているのである。 歩いても良いし走っても良いし、貴方の歩調は貴方の歩幅(生き方)に比例しているはずである。 貴方が今、踏み出した一歩が例え小さくても、例え失敗であったとしても、それがいったい何だと言うのであろうか…。 失敗は成功の母(もと)と言うではないか。 失敗事例は教訓として、今後の歩みの為の心の糧として、智恵へと変換すればいいのである。 其の時、貴方の踏み出した一歩は、成功であっても失敗であっても、常に前進であることに変わりはないのである。 次なる一歩を踏み出すことだ。 更なる一歩を重ねるのみだ。 その場その場の敗北は小さな痒みでしかないのだ。 貴方はちっぽけな戦局に思い悩むことなかれ。 大局でこそ勝利すべきなのだ。 ジグソーパズルの一ピース(部分)の敗北に囚われず、あくまでも大局(全体としての絵柄)を大切にせよ。 要は積み重ねなのである。 樹木の生長を観よ…。 目には確認できなくとも日々生長(継続)しているではないか。 地道に年輪を積み重ね、一本の樹木のみで終わることなく無数に種子を飛ばし、繁茂して子木を増やしてゆくのである。 川の流れを観よ…。 止めどなく流れ流れてゆくからこそ、川は川として歴史を刻み続けるのである。 波の寄せ引きを観よ…。 波は限りなく寄せては返すからこそ、多くのロマンが創み出されてゆくのである。 また風の流れを観よ…。 風は流れを止めた時、既に風としての存在を失くすのである。 貴方の夢追いも継続し続けることにより、貴方の個性が時間も空間をも超えてゆくのである。 貴方は今、永遠なる時間の流れの中の今の一点を歩んでいるのだ。 過去が在るからこそ現在があり、今を生きているからこそ未来は必ず来るのである。 今を生きる貴方よ、明るい未来を想い描け。 過去の貴方の想い描きが、現在の貴方の環境を創り出しているし、今の貴方の想い描きが、未来の貴方の生き方を規定するのである。 そして今、貴方の想いは、貴方の夢追いは、光(愛)に向かうことが出来るのである。 夢の中に悲しみを持ち込むな…。 夢の中に苦悩を見い出すな…。 貴方の夢には希望(光)と愛とを描き続けよ…。 そして其の夢を追い求め続ける貴方であることを信じている。 継続は力、継続は愛。 日々の積み重ねが、やがて貴方を天才(光)にまで高めるであろう。 諦めを棄てよ、妥協を棄てよ。 続けることこそ夢追い人の日々の指針とせよ。 貴方の本当の夢は、永遠であり無限である。 そして愛と供に遙かなる旅路を歩もうではないか。 同伴(友)は一人でも多い方が良いのである。 夢追い神話(旅路)は今、始まったばかりなのであるから…。 |