|
12 生命の発露 |
|
透き通るような青い蒼い空の中に、一握りの雲が、気持ち良さそうに漂っている。 太陽を背にして雲は大地に影を映し出している。 その影の形を変えようとしたところで、影の本体である雲そのものが変わらぬ限り、影は影として存在し続けるのである。 この地上に在る全ての物質は、生命の発露としての心の影である。 心に強く想い描いた理想が、やがて時を経て具現化してきた心の産物なのである。 環境も境遇も、自らの過去(過去世を含み)の想いの現れであることを、正しく熟知する必要がある。 夢を追う者は特に此の真実を、自己の強き責任観として受け止めて致だきたい…。 此処に幼い子供が居る…。 子供は影絵を楽しんでいる。 壁に写る様々な影絵に、また其の動きに、驚きと不安とトキメキとを感じながら、ひたすら影を追っているのである。 幼い子供は、壁に写りたる影に触れて何とか形(影)を変えてみたいと、あれこれ思い悩む訳であるが、自分の思い通りにならない影に対して、時には泣き出し、時には癇癪を起こして壁を叩き物を投げ付けたりもする。 しかしやがて幼い子供も、影を形作る本体の存在を知り、幼子自身が自由自在に影を操る立場に立つのである。 この地上に存在する全てのものは、総て生命の発露(展開)である。 現に形代(形式)として存在するものを変えてゆく為には、元なる思念を変えてゆく他あるまい…。 尤も応急処置として其の場凌ぎの対処が必要な時もあるであろうが、本当の意味で運命を変えてゆく為には、形式を超えた心象(こころ)に目覚めてゆく必要がある。 現れの元から根こそぎ変えてゆく他あるまい。 現代の科学者は、三次元スクリーンに写りたる影の存在を測り、其の動きを観察して、元なる理念(こころ)を法則化し証明することを主として行なっているようであるが、真に目覚めた科学者は、生命の発露を本当に悟り、其れを人々に正しく説明する為の手段として、科学を通して理論を発表されているのである。 其の視点が凡百の科学者とは180度、いや360度違う処にあるのである。 万有引力を発見したニュートン博士にしても、木から落ちる林檎を観察して万有引力を発見したとされているが、落ちる林檎は単に機縁(キッカケ)に過ぎなかったのだ。 形態を超えた理念(こころ)を悟らずして、万有引力は発見しえるものではないのである。 ニュートン博士は生命の発露としての真実の法則性を既に悟っておられたからこそ、万有引力は発見されたのである。 また相対性理論を発表されたアインシュタイン博士も、生命の発露としての理念(こころ)の相異性を十分に悟っておられたからこそ、相対性理論が打ち立てられたのである。 形を合理的に、どれだけ推し量ったとしても、心に目覚めてゆかなければ、単に形骸だらけの枠に固執した、机上の空論で終わるのである。 夢追い人たちよ、貴方たちは主たるものを見失ってはならない。 それは『心』であり『愛』である。 生命(心)の発露として、愛の想いが溢れ出した夢追いこそ、本当に多くの人々の幸福を創り出すのである。 それなのに体裁や欲得願望や富や名誉などが目的となって、後から大義名分として愛を付け足すような夢追いは、多くの歴史が物語っているように、罪なき衆生を巻き添えにして、歴史に爪痕を残すのみであるのだ。 よって夢追い人であればこそ自らに責任を持って、常日頃から自身の言動に注意せねばならない。 心の世界は真実の愛の下に、誠に正しく秩序が確立されているのである。 より深く、より広く、より高く、より純粋に、愛の核心に近付けば近付くほど徳性は高まり、多くの愛の源泉を、直接その身に体現してゆけるのである…。 上下左右関係のような平面的秩序ではなく、ピラミッド型の立体的秩序でもなく、真実の愛の核心に、総ての個性が集中統合し、個々の生命の真価を尊び合い大調和し、それぞれの役割を完全に担い、時間(永遠)と空間(無限)とを融合して、大いなる繁栄を目指す究極秩序が、神霊(こころ)の世界に展開しているのである。 総ての夢の本質(中核)は『愛』であり、形を超越した本当の愛に目覚めてゆく為に、夢追う人よ精神界(こころ)を探究せよ…。 心の中には総てが具わっているのである。 心の中にこそ本当の生命の自由が展開するのである。 そして心の根源にこそ全ての運命開拓の鍵があるのである。 貴方の本体は生命(こころ)であり、心こそ主であり肉体は従であり、全ての環境や境遇でさえ、貴方の心の発露であることを忘れるな…。 此れが人間にとっての基本的秩序であり、心の王国を主体的にコントロールする秘訣でもある。 自らの感情(欲望)の奴隷とならず、怒りを鎮め、欲求を沈め、荒れた心の波立ちを凪いでゆく勇気を持て…。 貴方の本体は心の中にこそあり、全ての感情の統治者こそ貴方自身であるのである。 |