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25 紫の時代…紫霊 |
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人々よ目覚めよ すでに新創世記は始まったのである 争いが続く訳を 戦いが止まぬ訳を そろそろ受け入れてもよいのではないか… 戦火の絶えない歴史の訳は ただ人の自我によるのである 我れのみ良しの存在は 彼(他者)の存在を否定するのみに収まらず 我が儘(独我)のみを通すために その反対者たちを削除し消滅せんとする これは独裁者が力(権力や金力)を有すれば有するほど 顕著に現れる傾向性である 一人では生まれてさえも出来ない人間が 何ゆえに独権に囚わるるや… たとえそのような人であれ いつ何処で誰に助けられるかは解からないのである 完璧な人間など この世に一人も存在しない なぜならこれは大神が この地上(三次元物質肉体的世界)を創造する際に 用意された運命の鍵であるからだ 完璧ではないからこそ 助け合いが生まれる 不足な部分があるからこそ手を差しのべ 埋め合い補い合う行為が生ずる そこに愛とは何たるかを悟る縁が存在するということだ まず汝ら人間は 自我と個性は本来 意味内容が違うということを知らねばなるまい 自我は自分が絶対者であるが 個性は全体が絶対者である よって自我を追及するものは自己中心となり 他者を隷属的立場に追いやるのである しかし個性は違う 個性の追求は 全体の中での自己自身の役割を想い出すのである 自分にしか担えない使命を求めるのである したがって個性の追求者は他者の存在を考慮し 相互に助け合い生長し合う関係を目指すのである そうだ切磋琢磨とは かような個性の連鎖を言うのである そうして大きな理想実現の為に 自らの役割に殉ずるのである そこに本来の秩序が発生する 自我者の集まりは烏合の衆であるが 個性者の集まりは生かし合いの世界である 自も他も本来の在り方を互いに尊重し合い 自らの得意分野で 全体を美しく彩るための働きを目指すべきである 我ら紫霊は 赤と青の混合色だと言われている いわば炎と水・昼と夜・精神と物質・男性と女性・左と右… こうした二極分離した個性を 一つに融合することによって 天地を貫く陰陽の経綸が 一枚布の模様の如く 見事な色彩を帯びるのである これが本来の秩序の姿である 一つ一つの個性を潰すことが全体の秩序ではない むしろ個性を個性として尊ぶことによって さらに全体を生かす働きをすることによって 本来の秩序は全体の絵柄を完成させるのである 男女同権が叫ばれているが 魂の尊厳においては間違いなく男女は同権である しかし役割において男女は 同じ土俵に立って争うものではないのである それは真実の智恵を有する者の成す行為ではない それは真実の智恵が無いまま 自我に執した迷妄者の嘆き声である そうした自我者の迷妄によって 幾度も時代が傾き 秩序が崩されていった 本当の智恵者は 自らの意志で脇役に就くのである 古き大陸(中国)において 孔子という偉人が 人類最高の徳を有しながらも 自ら脇役に徹した人生を 歴史に精通する人であれば おそらく知っているであろう 自らの個性を全体の繁栄のために役立てたいと 若き日の孔子は放浪の旅に出たのである しかし行く先々で戦火が絶えず 真に国のため人のために生きる君主に 廻り逢うことが出来なかったのである しかし孔子の教えは国境を越え 海峡を超えて 今や世界中に広がっている 三千数百年も昔の彼の言葉が 現代の教育者・研究者たちの心を打つ理由は その教えが真実の秩序を現出させるための 実相の大神の智恵と愛であるからなのだ 我ら紫霊の目指す世界観も同じである 混沌とした三千世界を 大神の秩序の下に 真実の繁栄へと導く使命が 我ら紫霊の天職であるのだ この理想に同調せし者は我が霊衣を纏え しからば我らは紫霊の霊光を放ちて 汝らの前途を開かしめん もはや真実の秩序を邪魔立てせし者は 時代の転換期においては存在を許されないのである 暗闇(暗黒思考)は光明(光明思想)の前に 退くのみなのだ 戦いもいらぬ 妥協もいらぬ 光は光として進むのみである 個性(光)を全体(光明)の一要素として 自信をもって歩め!!! |