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00 謙虚の徳性とは何か |
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徳性というものが見失われて久しい近代において、徳そのものの正しい解釈を求めることがどれだけ困難であるかは、巷に溢れる情報群を軒並み探っていただければ判断できると想います。 それでは現在は徳性について学べる場所があるかどうかですが、日本の歴史上に視点を置くならば、遠い神代の時代は例外としても、大化の改新以前の聖徳太子が開かれていた学舎(人徳育成の私塾)では、かなり鮮明な徳育が行われておりました。 しかし太子の死後には蘇我入鹿の暴挙による山城皇子一族(聖徳太子亡き後の太子一族)の滅亡があったり、海を隔てた大陸文化(良否は別にして…)の流入があったり、そうした中で中大兄皇子(なかのおうえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが学んだ徳育学舎もありましたが、徳性を正確に得心できた学人は皆無でありました。 それは当時の難しい時代性に大きな原因があったわけです。 また壬申の乱以後の古事記・日本書紀成立の時代においては、数々の高徳霊が地上に輩出されましたが、時の皇族には度重なる不幸が起きて十分な徳育が行われず、以後の武家政権による幕藩体制に至っては、ほぼ真実の徳性が見失われたかに思われます。 代々の武家に伝わる武士道は、どことなく徳性を表しているかにも見えますが、どうしても君主に従う忠誠心を説いたものが多いと想われます。 同じく西洋においては騎士道なるものがありましたが、戦地に赴く騎士たちの個人的な倫理規範に重きが置かれていたかに見えます。 かの大国(中国でも孔子の時代)に根ざした仁徳は、君主に対する君子への道であり、この君子への道は君主に隷属しての下僕の道ではなく、君主の意向(善なる個性)を具体的に生かすことによって、万民を多くの幸福に導くという大いなる天職を通して、それに必要な個性を磨きながら徐々に人格形成への道筋を説いたものでありました。
近代における徳育学舎ですが、実は幕藩政権の裏側にて静かに行われていた幾つかの流れがあったのです。 しかしそれは一部の宗教や、無名な高徳者(隠れたる偉人)たちによって細々と語り継がれてきた教えでありました。 それらの教え(徳育)を表舞台に現わしたのが幕末に活躍された維新の開明志たちでありました。 彼らは日本古来より細々と伝わる徳性を、当時の血気盛んな若者たちに伝授したのです。 若者たちはその魂の原動力を用いて日本の近代化を実現されたわけです。 しかしながら残念なことに、こうした徳性が当時の軍略に使用されるようになり、第二次世界大戦での敗戦によって、諸外国の日本精神衰弱化作戦とでもいえる数々の政策に飲み込まれて、日本人の心に永々と培われてきた大和精神が無し潰しにされました。 そうして皆さんが知る現代を迎えたわけであります。
さて現代には徳育を学ぶ場所が無いかというとそうではありません。 政治や宗教や学校教育などは、個人的な自我の尊厳という歪められた自由意思(損得感情)と不平等を訴える本人の努力なき平等概念などから、多くの規制や偏見に毒されて、本来の職務を遂行しがたい状態にされております。 そうした中でも不思議な関係ですが、経済界の中には未来に繋がるであろう精神革命が起きつつあるのです。 その先駆けは松下幸之助が興された松下政経塾であったり稲盛和夫が興された盛和塾であります。 明るい未来の予兆を感ずる徳育学舎は今後も多く現れてくることでしょう。
ここで十四徳性の概略と、これから説明してゆく謙虚の徳性の位置付けなどを語ってゆきたいと思います。
徳という文字を分解すると『行ずる十四の心』と書いてある通り、行動が伴なって始めて機能する精神(十四の心)があるということです。 具体的な実践を通さなければ徳性とは何たるかが決して解からない(得心しない)ということです。 この十四の徳性(仁徳・新生・優美・勇気・判断・継続・探求・信念・秩序・感謝。 さらに謙虚・調和・融和・積極)は二つのグループに分けられています。 前半の仁徳・新生・優美・勇気・判断・継続・探求・信念・秩序・感謝の十徳行は理念の世界から降り注いでくる実相流転の法則そのものですし、その高き理念を体現してゆくための十段階の発展階梯が用意されています。 そうしてこれら十徳行は一つづつでも体現を望むことが出来るもので、いわば個別徳性のスペシャリスト養成徳導でもあるということです。 残りの四徳行は四段階に区切られた徳性段階(実は究極なる5段階も存在する)を一段づつ高めてゆく上での総合徳性に通ずるゼネラリスト養成徳導になります。 そのため四徳行には随所に関門が現れてもきますが、この四徳行の成果の素晴らしさは、高めえた徳性からの転落が少なくなるということです。 そのためにも謙虚という徳性を精神的基盤として学ぶ必要があるのです。
謙虚の徳性…と一言で言っても、これを悟得(魂の内部で自覚)することは容易いことではありません。 決して控え目にすることや闇雲に譲ることのみが謙虚ではないということです。 むしろ何かに向かって歩みを進める過程において、その前向きな(ひたむきな)姿勢をもって証明しうるものが謙虚の徳性になります。 それは地道な努力の結晶なのです。 つまり人間の心に巣食い精神を蝕む害虫(失望・怠惰)との決別であり、自らの魂の高まりにおいて心を錆び付かせる付着物(歪んだ自我…我欲・欺瞞・愚弄・下劣・傲慢)との決別でもあります。
謙虚の徳性には育んでゆくための10の徳目があります。 それは【おもい】【こせい】【そなえ】【ととのえ】【のぞみ】【ほうし】【もとめ】【ようき】【ろんり】【をつとめ】などですが、言葉は簡単でしょうが、これらの徳目を体現するためには日々の自己研鑽が必要不可欠です。 ここで本論に入る前に、徳性を体現する上で数々の試しが訪れてくるため、その折々の処方箋として柔軟に対応してゆくための14思考を開示します。 この14思考は【中級者編】柔軟思考にて詳しく語られておりますので、ここでは簡単に概略のみ説明いたします。 徳性段階に臨む者に立ちはだかる数々の試しに、真正面から挑む必要はありません。 その前にシッカリと自己の精神面を磨き鍛え、徐々に謙虚の徳性を育むことの方が先決です。 決して勝ち急ぐことのないように…。 自己過信や焦りは禁物であります。
徳性というものが忘れられて久しいですが、現代では学校教育においても徳育の重要性が語られるようになりました…。 軍隊のような体罰は問題外ですが、スパルタ教育に反感する民意を恐れるがゆえに、控え目な教職員が増えてしまったのでしょうか。 そうした現状で学ぶべき生徒の中には横暴に振舞う自由人が、学ぶべき姿勢を崩してきただけに留まらず、それを何か新しい風習のように映画やドラマとして取り扱うメディアにも責任がありそうです。 だけどここでハッキリとしておかなければならないものは、人に人生を教える教員や、人間社会の平和を守る警察警備の人々や、国家の運命を委ねられた政治家や公務員の方々には、尚更のこと徳性が何たるかを学んでいただきたいと切願します。 自分の社会的体面や本人の健康維持のみで生きられる人には何も言うことはありませんが、少なくとも人様の人生に影響を及ぼす聖職に該当する人たちは、申し訳ありませんが自己研鑽を生涯の友としていただきたい…。
かの昭和天皇陛下が太平洋戦争で日本が敗戦を迎えた際の真実を、あなたたちは知っているでしょうか…。 日本民族総出で最終決戦(本土決戦)を迎えると豪語していた軍部にただ一人反対して終戦放送を全国に流した陛下は、マッカーサーとの対談の時に、皇室の全財産の目録をもって臨み… 『このたびの敗戦の責任は総て私にあります。私は絞首刑になっても構いません。しかし残された日本国民一人一人の生活が心配です。焼け爛れた国土の中で、これから更に日本の国民は餓えてゆくかもしれないのです。皇室の全財産はこの目録にあるとおりです。どうかこのお金を使って、将来も見えなくなって嘆き悲しむ国民たちを救ってあげて下さい…』 こうして陛下はマッカーサーに嘆願したそうです。 これを聞いたマッカーサーは大いに驚いたそうです。 それまでの敗戦国のトップはみな自分の財産や身の危険を避けるために、他国に亡命したり身を隠したりする主君が殆どでしたが、昭和天皇は本来、戦争責任すらなかったことをマッカーサーは事前調査で知っていたからです…。 マッカーサーは正装に着替え襟を正して陛下を接待されたということです。
その後の陛下は側近が止めるのも聞かず、全国民にジカに会って…大変な御世になってしまったが、どうか頑張って生きてほしい…と願いを込めながら全国津々浦々を廻られたのです。 どこで暗殺されても可笑しくない時世に、自発的に飛び込んで行かれたのです。 この陛下の徳性は、暗殺されるどころか、行く先々で大歓声とともに受け入れられ、その後の奇跡的な日本の復興に繋がったのですね。 こうした徳性は目には見えないが、人を愛し憂い、人々の平和を日々祈りながら余生を生き貫いたのです。 そうして昭和天皇は1989年1月7日に他界されたのでした。
徳性は1日や2日で育まれるものではなくて、ましてやピクニックにでも行くような楽観的な気持ちでもなくて、人のため国のため人類のために何が出来るかを、切実なる想いで心に抱くならば、もう謙虚に自己研鑽して、この身(個性)を世の幸福顕現のために提供する覚悟が出てくることでしょう…。 こうした高い徳性も、日々の地道な積み重ねによる努力の結晶なのです…。
さて徳性開発ですが、今回の教材には謙虚の徳性についての位置付けと、謙虚の徳性を磨いてゆくための10徳目が語られています。 それぞれに行動基準はありますが、徳性開発の素晴らしいところは、自発的に実践することによって、それなりの成果が出るということです。 それは今まで何ら変化がありえなかった自分の環境・境遇が、驚くほどの変化を見せ始めるのです。 その理由は後々ご自分でも理解できるようにはなりますが、とりあえずは実践あるのみです…。
ここで14思考について学ぶわけですが、この14思考という考え方は、きっと徳性開発途上において皆さんをあらゆる方面から援護射撃してくれることでしょう。 つまらぬ心ない他者あるいは自身の内面からの反論を、巧みに受け流すアイテムになるでしょう…。
【14思考(柔軟思考)】
☆八割思考(はちわりしこう)☆ 200%の可能性の中で120%の目標を持ち、100%の努力を通して、八割(80%)以上の成果を残す。残りの二割(20%)は次回への智恵と教訓とせよ…これが八割思考の考え方です。 本来の可能性は無限ではありますが、人間には一人に一体づつ守護霊が居るわけで、一般論として少なく見積もっても二人分の可能性(200%)は誰にでもあるということです。
☆中津瀬思考(なかつせしこう)☆ 古事記の神話によりますと、黄泉国(地獄)から生還された伊邪那岐神(イザナギノカミ)は『私は汚く穢れた世界に行っていたのか。 我が身の禊払い(心の浄化)をしなければなるまい…』と悔い改め、川の流れ(真理の大河)の中に入っていかれたわけですが、その時に『上津瀬(上流)は瀬早し(流れが速い)、下津瀬(下流)は瀬遅し(流れが遅い)、我れ中津瀬(中流)にて禊払いせむ…』として中津瀬を選ばれたと伝え残されています。 これは仏教における中道精神であり、儒教における中庸精神でありまして、本人の現在の心境に最も適合した歩調(ペース)が良いであろうという、日本古来より伝わる中津瀬精神です。
☆達観思考(たっかんしこう)☆ 夢追い人たちが人生に目的目標を持って歩む過程で、その歩みを邪魔立てせんとする悪意の試しが必ずやってきます。 それは自身の内外から同時にやってくる唆し(そそのかし)です。 内部からは将来に対する不安や恐怖として、外部からは他者を使った批判や中傷として…。 そうした時に本来の自分の夢を想い出し、その夢が達成した姿を繰り返し想い描いて下さい。 未来を遍く照らすという想い描きが、自信喪失という迷妄から抜け出すための思考となりゆくでしょう。
☆三源思考(さんげんしこう)☆ 別名を三態思考ともいいますが、水は温めて100℃以上になると気体になり、その逆に冷やして0℃以下になると固体(氷)になります。 常温では液体ではありますが、気体になっても固体(氷)になっても、やはり水は水なのです。 この水の三態は、そのまま万象に応用が効きます。 つまり物事には抽象性(気体)があり具体性(固体)があり、その二者を繋ぐ流動性(液体)があるということです。そしてそれらは個々別々のものではなくて、源においては一つのものであるということです。 世の人々の思想には時代的背景もあって、考え方が何処かに片寄りがちではありますが、誰かの意見が総て丸ごと正しいわけではないが、全てが間違っているわけでもなく、三相(人と時と所)がピッタリと兼ね合った時に、それまで悪と見えしものが善に変わる時もありうるということです。
☆還元思考(かんげんしこう)☆ たとえば結果が良くない場合や、経過が思い通りに行かない場合でも、それでも現状は現状として受け止める必要があります。 どのようなものでも、それまでに培ってきた努力そのものは何一つムダ無駄ではなく、貴重な経験として記憶の中で輝くのであります。 その努力精進に注いだ想いと行為を肯定してあげて、現在只今をまたスタートラインに置き換えて還元し、小さな一歩で構わないので、また歩みを始める気力を出すことです。 還元思考は、ともすると小さな失敗に萎えてしまいがちな弱き心を救済してくれるでしょう。
☆満月思考(まんげつしこう)☆ 別名を、まろやか思考ともいいますが、夜空に浮かぶ月は月齢によって満ち欠けをします。 満月があれば三日月もあり半月もありますが、本来は月そのものが欠けたことは一度も無いわけで、月の軌道環境(太陽と地球との位置関係)ぐあいで欠けたように見えるだけのことなのです。 人間の生命(魂)も本来は完全円満(実相の光そのもの)であります。 現象としての不完全さに失望する必要はなく、未だ自身の内部に隠れたる宝(才能)が開花せずに眠っているだけのことです。 こうした思考が現実の荒波に打ちひしがれて失望しがちな夢追い人たちに、明日も生きる勇気を与えるはずです。
☆柔和思考(やわらぎしこう)☆ 柔らかい安らぎにて和するという思考ですが、人生には山あり谷あり…。 さまざまな人間関係に心が右に左に揺れ、気持ちは浮き沈みするであろうけれども、ギクシャクした人付き合いの中で、お互いに何かを得ることばかりを期待していると、不足感ばかりが心を支配するようになります。 そんな時には心して気持ちを柔らかく安らかな心持ちで人と接するよう心掛けて下さい。 そうすることによって自他ともに魔(悪意)が入り込む隙間さえ無くなってゆくでしょう。
☆楽観思考(らっかんしこう)☆ 夢追いには障害が付き物です。 障害が出てくること事態が、その障害を乗り越えた向こう側に、追い求める夢が存在するという逆証明になっています。 時には大きな障害に弾き返されて小さな自分(弱き自分)に打ちのめされることもあるでしょうが、そんな時には『まだちょっと努力が足りなかったか…』『自分なりに頑張ってきたけれど現状では仕方ない…また遣り直せばいい』『違う方法もあるだろうから考えてみるか…』と、前向きに捉えることです。 そうして『この障害があるからこそ自分はまた強くなれる…愛が深まる…』と考えることによって、人生を(あらゆる障害を…)楽しむ心持ちで生きていただきたい。 開き直りは諦めではないのです。 自暴自棄となって現実逃避をすることなく、新たな道を模索すればよいのであります。
☆枠付思考(わくづけしこう)☆ この枠付思考は、孤独の淵に迷い込んだ人生の迷妄者たちに効果があるもので、その辛さ苦しさは自分だけが受けている不幸ではないと知ることによって、かすかな希望が見い出されるようになるでしょう。 どこかの誰かが自分の苦しみと同じような辛さを抱いて生きている…。 自分にはこの苦しみの本当の辛さを体験によって痛いほどよく知っている。 同じ苦しみ辛さを知る者として、人生の同朋たちを救い出してあげたい…。 救い出すまで出来なくても、その苦しい心境を、その辛い気持ちを、ただ話を聞いてあげることは出来るだろう…と。 同じ思いを心に抱いて生きている人たちもいると自分を枠付けることによって、孤独感を払拭することが可能になるでしょう。
☆落着思考(おちつきしこう)☆ 別名を、おだやか思考ともいいますが、人と接する場合に、お互いの意見の違いなどで、ついついカッと腹立たしく思ったり、相手に嫌悪感が沸いたりするかもしれませんが、そんな時には『ちょっと待てよ…』と一呼吸おいて、まずは自分の気持ちを落ち着かせることから始めて下さい。 もともと紛争は自分一人きりではありえないことで、個性ある相手がいて始めて巻き起こってくるものであるわけで、たとえ全て相手が悪いように見えたとしても、互いに影響し合う社会風習の中で、自分の何らかの影響も相手に及んでいる可能性は0(ゼロ)ではないのです。 こうした小さな自己反省を常に最初にするということで、相手に変革を要求するのは、自己を顧みたその後の話になります。
☆永遠思考(えいえんしこう)☆ 新創世記をココまで読んだ方であれば殆どの方が、人間の転生輪廻を受け入れておられるでしょう…。 人間の生命(魂)は永遠に生き通しであります。 肉体人間の記憶は人生を通して得た記憶の総てを引っさげて、霊界へと帰るのであります。 そこに波長同数の法則(心の法則)により天国も地獄もあるわけですが、この世かぎりの命ではないと知ることによって、生老病死に対する恐怖感を乗り越える縁(よすが)になるでしょう…。 人と人との絆や縁に対する想いも深まってゆくことでしょう。
☆創造思考(そうぞうしこう)☆ 別名を、創み出し思考ともいいますが、古事記の神話によりますと、黄泉国から逃げ帰ってきた伊邪那岐神(イザナギノカミ)は、黄泉国と現幽界との境にある黄泉平坂(求道者の坂道)に差し掛かった時に、今後一切、黄泉国へは入って行かないように、千引岩(ちびきいわ…精神的ボーダーライン)を敷いて黄泉国の入り口を塞いだのです。 すると後から追い掛けてきた黄泉国の総大将(黄泉大神)が、千引岩の向こうから恐喝してきたのです。 『千引岩を取り払わなければ、伊邪那岐神の子供たち(国の民たち)を一日に千人殺すぞ』と。 その時に伊邪那岐神は恐喝に屈することなく、次のような言霊で応戦したのです。 あなた(黄泉大神)が一日に千人もの生命を殺すのであるならば、私は一日に千五百人の産屋を立ててみせる(子供を創み出してみせる)。 こうして心に去来する恐怖観念を振り払ったのです。 夢追い途上で巻き起こってくる数々の制約や困難によって、不安や恐怖は度々襲いかかってくるかもしれません。 現状では打破できそうにない弱い部分を必ず突いてくるであろうが、どうかそうした心ない悪想念に屈することなく、現在はまだ力量乏しく太刀打ち出来なくても、いつかは必ず切り崩してゆけるであろう自分の可能性を信じて、奪い取られた精神も物質も人間関係をも遥かに超越してゆくほどの人間観・人生観・物質的富・豊かな人間関係などを創み出し作り出してゆく姿勢を、どうか、どうか、あなたの心に附帯(携帯)して下さいますよう、祈りを込めてお願い申し上げます。
☆慈愛思考(じあいしこう)☆ 別名を、いつくしみ思考ともいいますが、人類共通の人生の意義は『愛』を深めるところにあるのです。 この世に存在する総ての人間・物質・事象・動植物などに、その形態に関わらず総てに生命(いのち)が宿っています。 自分の生命(いのち)を慈しむように、他の生命(いのち)をも慈しんで下さい。 愛なくば、この地上は砂漠と化すでしょう。 愛なくば、人々の心は枯渇するのみでしょう。 愛こそ総ての総てなのです…。 人を貶したり蔑んだりイジメたりしなければ自分の体面を保てないですか? 自己吹聴したり自己自慢したり装飾で身を固めなければ遣りきれないですか? 愛する心に必要なものは、自と他を比較したり区別するところには無いということを知って下さい。 真実の愛とは結びであり、自他一体感の自覚であります。 人と人との心と心を結ぶ方向にこそ愛は現れ、その愛を通して大いなる神(光)が流れ出てくるのです。 その時に神々とともに生きる自分の個性の輝きをも実感することでしょう。
☆天地思考(あめつちしこう)☆ 天地(あめつち)とは、新創世記第一巻(天地の経綸)の冒頭にて語られたように、天と地という個別の考え方ではありません。 陽(天)と陰(地)であり、宇宙(天)と大地(地)であり、精神界(天)と現象界(地)であり、男性(天)と女性(地)であり、左(天)と右(地)であり、光(天)と影(地)でもあります。 それらの相対する親密関係は本来一つのものなのです。 そこにその個性に応じた役割があり、優先順序があるだけで、すべてが尊い生命なのであります。 この天地(あめつち)に込められた深い想いこそ、皆さんが住まう日本を永々と見守り導いてこられた日本の神々の心(むすび)であり、むすびの大道(たいどう)であります。
この14思考では、皆さんが徳性を体現してゆく道程にて、繰り返し立ちはだかる障害に潰されてしまわないように、直面する障害(悪意)を巧みにかわす柔軟思考として、14ものアイテム(思考)を開示してあります。 この14思考だけでも人生を難なく乗り越えてゆけるでしょうが、この柔軟思考は、徳性開発に取り組む者には驚くほどの効果を発揮します。 真実の光に向かう姿勢があれば、あなたたちの守護霊たちは手を差し伸べることを許されるのです。 地上人間の主体性が現れ、その方向が正しければ惜しみなく援護射撃をしてくれるでしょう。 しかし何も自分を磨くことなく、他者批判のみに柔軟思考を扱う者には守護霊たちは黙して動かないでしょう。 それが霊界における約束事なのです。 内容そのものは読んで字の如くでありますが、詳しく知りたい方は地道に徳性(謙虚)を育まれて、次のステップ【中級者編】柔軟思考に進んで下さい。 何はともあれ、これから謙虚の徳性に立ち並ぶ数々の徳目を学ぶことになりますが、徳性開発は自発的に取り組むものにはそれなりの結果が現れ、自分自身で成果の確認が出来るようになるでしょう。 そうして経験を通して体現した徳性(徳目)をもってすれば、自分の現在只今の心境がよく解るようになりますし、周囲の人々の徳性現状も理解することができるようになるでしょう。 徳高き人の心境如何は中々読み取れないが、自分自身が得た段階までなら周囲の人々の徳性現状が手に取るように解ってまいります。 優しさを湛え、喜びを満たし、明るく素直に生きてゆきましょう…。 |