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04 ととのえ (精神統一) |
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現代は科学の発達によって情報機関も理路整然と整備され、物珍しい何かを見つけたなら、すぐにでもそれが得られるし、すぐに行える便利な世の中になりました。 それゆえにその利便性の弊害も出ているのです。 多種多様な楽しみがあるがゆえに多くの人は貴重な余暇を虚しく潰しております。 多趣味であることが悪いという意味ではないのですが、ここぞという大切な場面では、一本筋の通った集中力が発揮できるか(持続できるか…)といえば、そういうわけにはいかないでしょう。 これは多趣味であってもドップリと嵌まり込んだ悪習慣となれば、容易に開放してくれないという現実が、そこかしこにあるわけです。 とはいえ、一社会人であるがゆえに、人間関係における付き合いも無視できない問題です。 そうした中で適所に安定した集中力を発揮するためには、やはり常日頃から精神的訓練が必要だということです。 『ととのえ』という徳目は、集中力と解除力を育む徳目で、意識散漫を避けるための一極集中と、盲信を避けるための解除力を学ぶ(磨く)ところであります。
古来より瞑想や祈りなどが、精神統一の修法として伝わっておりますが、集中力を高め深める際にも、かつての精神統一の修法は誠に参考になると想います。 精神を集中する際には、必ずといっていいほど雑念が沸いてきますが、この雑念が集中力を掻き乱し、意識を散漫させんと邪魔立てしてくるのであります。 この雑念を去ることが瞑想や祈りには必要不可欠でしょうが、雑念そのものが本人の過度なる興味関心であるがゆえに、すべてを払い除けることは不可能に近いと想います。 やはりここでも段階を追って徐々に進めるしかないのであって、『ととのえ』の徳目においても、現状把握から始めるしかないのであります。 数々の雑念が沸いてくる理由を知ることによって、少なからず身辺整理が出来るようになりますし、それに伴なった心の整理も推し進められるようになるでしょう。 自分の周囲の環境は、すべて心の影なのです。 瞑想や祈りの渦中にあって、あろうことか精神が粗悪となり、心の荒ぶり(悪心)がますます深刻になるような人も出てくるわけですが、こうした人は、精神統一をする以前に、ひとまず心の内部の清掃浄化をしなければならないのであります。
先ほど雑念は本人自身の過度なる興味関心だと言いましたが、雑念となって現れてくるからには、もう抗い難い歪んだ魂の傾向性として、心の内部には刻まれているでしょう。 こうした雑念を取り去るだけでも、長い長い年月が必要になると想われます。 ですから雑念は雑念のまま動かし難い仮存在だとしても、その雑念が不用な時には、心の家屋の中の何処か小部屋にでも静かに納まっていてもらえればよいということです。 つまり思いにおける意思決定と、感情のコントロールの主体は自分の意思で行えるようになればよいのです。 これはやはり日々の基礎訓練に頼るしかないのですが、一日の予定を細かく組んで、その予定の通りに事を進める努力を続けることです。 こうした努力を続けることによって、思考のメリハリを付けるということであります。 仕事と睡眠、そして食事時間以外の、残りの数時間を30分単位に区切って、勉強や読書や音楽鑑賞、あるいはストレッチでも趣味でもいいのですが、その小さく区切った30分の中で十分に楽しみ、時間が来たなら途中であっても早々と切り上げ、次のステップに入るということです。 こうした習慣を持続することによって、徐々に思いの意思決定と感情のコントロールは自分の意志がメインであるという正しい主体性を確立してゆくのであります。
日々の積み重ねで小さく区切った時間の中で、それぞれの項目(勉強・読書・テレビ・音楽・遊び…)を、だいたい自分の意志で切り替えられるようになったなら、次には重要な項目(例えば将来の夢実現のための勉強など…)の時間を徐々に増やし、遊びなどの予備時間を減らしてゆくのです。 いきなり時間の幅を大きく広げたり、そっくり消滅させたりすると、大きな反作用も心配されますので、徐々に段階を追って変化を加えるのがよいでしょう。 そうして大切な人生の意義に向かって、徐々に一極集中させてゆくのです。 社会人としての人間付き合いもあるでしょうから、いきなり大きな変化を望んでも、周囲の人たちが納得してくれないでしょうし、自分だけが前向きに善果を望んでも、周囲の人の中には歪んだ主観による反対意見を言い出す人も必ず出て来ます。 そうした反対意見は彼自身にとっては正論なので尚更に厄介です。 ですから心の変革は徐々に進めるべきですし、当面は周囲の人たちにも気付かれないような静かな歩みでよいということです。 ここでつまらぬ自己顕示欲などが出てくると、とかく他人に自慢をしたくなるでしょうが、一定の流れに収まるまでは、人知れず地道に行うことをお薦めします。 要はペースが遅くても日々積み重ねる努力の方が大切であるということです。
日常における予定の切り替えが自分の意志で行えるようになると、かなりの領域でひとつの物事に対する集中力が発揮されるでしょう。 また時間による切り替えが、主体的な思念想念のコントロールにも役立つはずです。 こうした自発的な習慣化こそ集中力と解除力に繋がるものなのです。 このような意図的な集中力が、他者からの批難中傷や、悪霊たちからの誘惑をかわしながら、一本筋の通った集中力を持続させますし、おおかた心配される過信・盲信・慢心の足枷をも自らの意志で解き放つ解除力となるでしょう。 かつてより宗教家が、魔界の悪霊たちから最初に狙われた部分は、宗教行事の中心である精神統一の時であったのです。 心の統整の為にも最も尊い行事でありながら、最も危険と隣り合わせであったわけで、今後とも瞑想や祈りを衆生に説く指導者たちには特に厳しく忠告しますが、瞑想や祈りを行ずる前に、シッカリと反省行(反省回顧…現状把握)を経験させる段階を用意しなければならないということです。 |