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05 のぞみ (率先垂範) |
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『のぞみ』という徳目は、前向きな精神を育むためのもので、積極的人生観の基礎ともいえる徳目です。 ただこれは闇雲に突き進むものではなく、なんでもかでもやればいいというものでもありません。 悪事を前向きに行われても困りますし、コツコツと罪を重ねられても迷惑な話であります。 ですからここでは二つの基準に元づいて、前向きな精神を『のぞみ』という徳目の下に進めてみたいと想います。 この二つの基準とは何かといいますと、一つには自己生長という基準であり、今一つには公的発展という基準であります。 この前向きな精神を個人的な自己生長の基準に当てはめるならば、個性の開花における普段の努力精進になるでしょう。 またこの前向きな精神を公的発展に当てはめるならば、公の中での率先垂範ということになるでしょう。 ここに二つの基準を用意した理由は、実にこの二つの基準が理解できず、混同している迷妄者が世の中には如何に多いかということを明確にしたいからです。
ここで世の人々を次の四つのタイプにムリヤリ分けてみたいと想います。 @有言実行者 A有言不実行者 B不言実行者 C不言不実行者。 『のぞみ』という徳目は実行者のことを指すわけですが、人々の魂の傾向性にパーセンテージを付けるならば、残念なことに不実行者に分類される人も出てくるのであります。 @有言実行者…というのは、自分が主張したものを、その言葉どうりに見事に実践する人のことで、各部門のリーダー格に、このような人が一人でもいると、そのグループは引き締まり、多くの好成績を残すことでしょう。 あるいは個人的見解の下で、自己の成長を臨む姿勢として有言実行を掲げるならば、一人の人格者としても尊ばれるかもしれません。 しかしながら自分が主張した内容を(その結果を…)そのまま達成することは難しく、往々にして自分が発した言葉の半分も出来ない場面が多いのではないでしょうか…。 それもそのはずで、人間には心の何処かに甘えや見栄を隠し持っているため、言葉の内容が過大表現となったり、これぐらい出来ればいいかな…と言う安易な妥協も出がちであります。 有言実行者に強い責任感があるならば、彼は時間が掛かろうが最後まで遣り尽くすでありましょうが、同じ有言実行者が無責任な人である場合は、大口を叩くだけ叩いて、いい加減なところで投げ出す場面も出てくるのであります。
A有言不実行者…の場合は、自分自身に責任が持てないことを自覚している人が多いと想います。 だから要職には就けず(就かされず…)部下の立場でありながら理想論を無闇に発するが、その実践となると臆病にも身を潜める、本来は軟弱精神の持ち主です。 何処の職場にも一人や二人は居ると想いますが、人の批判ばかりを影で言ってはいるが、自分の評価を最も気にするタイプです。 こうした有言不実行者は、常に職場を混乱に巻き込む、真なるトラブルメーカーです。 残念なことに、こうした事実を看破できない企業の上層部も多く、このようなトラブルメーカーの偏見や先入観から発せられる内部告発を鵜呑みにして、善良な社員が被害者となるケースも勃発しています。 C不言不実行者…は、何も言わず何も成さざるだけ、まだマシかもしれませんが、いつも有言不実行者の餌食にされるのは、残念ながら不言不実行者たちであります。 もちろん組織の中では不言不実行者がリストラの対象にはなりやすいが、彼らの持つ個性に応じた適任(配属)を与えられなかった上層部にも大きな罪があるのです。 責任の持てない彼らに対して、責任を持たざる負えない上層部の面々が、不備の責任のみを部下に押し付ける行為は、罪の中でも最も重い罪である『罪作りの大罪』に当たります。
話が前後しますが…。 B不言実行者…は、どのような人かといいますと、自分では公言しないが決まり事はソツなく行います。 また言われなくても重要なことは自ら率先して行うタイプです。 ただ組織の中では言葉が少ない分だけ誤解もされやすく、有言者たちの暗き策略に落とされる危険も多いでしょう。 しかし彼に本当の徳性が備わっている場合は、その実践が言葉を超えて、安定した信頼を得ることになります。 大法螺を吹聴する心の歪んだ有言者よりも、言わずとも事前に察知して黙々と実践する不言実行者の方が、目には見えないが黄金のオーラ(霊光)を放っているはずです。 『のぞみ』という徳目を、最も的確な言葉で表現するならば、不言実行者たちの普段の姿勢である《率先垂範》ではないでしょうか…。 もとから出来ないようなことを無理して自己吹聴せず、現状で出来ることからコツコツと積み重ね、黙々と見本(模範)を示す姿勢こそ、『のぞみ』という徳目が目指す本来の姿なのであります。
それでは『のぞみ』の徳目の最初に語った二つの基準(自己成長・公的発展)に、これらの四タイプを当て嵌めるならば、どうなるかを語ってみたいと想います。 まず【自己成長という基準】で見るならば、四タイプの徳性における序列は…。 @有言実行者 B不言実行者 A有言不実行者 C不言不実行者 …となります。 これは霊学を通した人間の成長過程を検証した、徳性開発としての序列であります。 自ら言い放った通りの実績を残すことが最も尊いですし、コツコツと人知れず努力を積み重ねる姿勢も同じぐらい尊いと想います。 また何も言わず何もしようとしない者に魂の生長は、あまり期待できないが、実践が伴なわなくても、何かの目的目標があれば(本人に自信さえ付けば…)いつか何処かで自ら歩み出す時期がくるかもしれません。 もしかすると最初の一歩を踏み出すまでに、単に精神的時間が必要なだけかもしれないのです。 次に【公的発展という基準】で見るならば、四タイプの徳性における序列は…。 B不言実行者 @有言実行者 C不言不実行者 A有言不実行者 …となります。 なぜこうした序列になるかと言いますと、徳性開発というものは公私の区別が出来なければ、永遠に理解出来ないものであるということです。 自分一人だけの問題なら許される失敗も多いが、公の中で不透明な理想論を吐いて何も実現できなかった場合、さらに大きなリスクを背負うことになった場合に、ともに歩んできた多くの同朋たちの人生まで巻き込む恐れがあるということです。 有言実行者はリーダータイプではありますが、その道のスペシャリストとしては優れているということなのです。 このスペシャリストの要素を持ち合わせながら、黙々と実践を重ね、地道に実績を積み、ひたすら模範を示す不言実行者は、本来の魂の素地がゼネラリストであるということです。 またトラブルメーカーになりやすい有言不実行者の公での徳性は最低で、むしろ周囲にあまり迷惑をかけず、イヤイヤでも仕事や学業を行ってくれる不言不実行者の方がセーフティーゾーンに入っています。 |