06 ほうし

(無我献身)

 

『ほうし』という徳目も、本来は人間の魂の中に自然に組み込まれたもので、この『ほうし』の想いがあるからこそ、人間は間違いなく神の子であると証明されるでしょう。

誰に言われるでもなく、何に強制されるでもなく、何処かの誰かのために、何らかのお役に立ちたいと想う気持ちは、純粋個性の奥底から流れ出てくる大生命の慈愛そのものです。

この愛なる想いが、自らの想いとして、現在只今の自分に出来うる範囲において、たとえ無報酬であっても、何ら賞賛を得られなくとも、何気なく足が向き、そっと手を差し伸べる…。

こうした天来の性質が、もっとも真人間らしさを醸し出しているように感じます。

こうした想いと行為には、もともと身分も役職も、ありとあらゆる境遇も関係ありませんが、動機としての個別理由は必要かもしれません。

自分の気紛れでやりたい時にだけ手助けをするというなら、やはり心の何処かに見栄や酔狂が隠されている。

自分も相手も同じ生命が宿り、同じような辛苦を感じとりながら生活しているのだろうな…と、感じているからこそ、相手への手助けが自然に出来るのでしょう。

こうした『ほうし』の徳目を磨くということは、魂の本質を自覚するということと同義なのです。

 

この『ほうし』の徳目を正しく育ててゆくためには、今の自分に何が出来るかを心の内部に問いかけてみる必要があります。

人として生きているからには必ず何かが出来るはずで、自分には人様に対して何もしてあげられることがないというならば、それこそ我が儘な甘えでしかないということです。

そんな貴方にも手がある、足がある。

目があり耳があり鼻があり口がある。

形を認識することも出来るし色を見分けることも、音を聞き分け言葉を発することも出来る。

さらに痛みや心地よさの感覚まで備わっている。

五体満足に生きているだけで、十分に幸せなのです。

世の中には、これらの体感の一部に支障をきたして困っている人も多く存在します。

身体に障害を持ったまま一生懸命に生きている人たちが居ます。

彼らから目をそむけ、自分の栄華のみに生きてはいませんでしたか?

自分の損得のみに明け暮れてはいませんでしたか?

自分の喜びのみしか探してはいませんでしたか?

どうか目を転じて周囲を見渡してみて下さい。

そこに自分にも出来る、あるいは自分にしか出来ない人助けが見えてくるはずです。

 

こうして自分にも出来るのではないかと想える手助けを見つけても、一日中、家の中にのみ篭もっているだけでは何も始まりません。

もっとも近年は情報機器が発達してインターネットも普及しているので、ネットを通した人助けも十分に出来るでしょう。

これも尊い人助けの現代的ツールの一つかもしれません。

けれども何もせず、何も生み出すこともなく、何の生き甲斐も無いまま部屋に篭もっていたのでは、『ほうし』の徳目育成どころか、根本的な人生観に問題があるのです。

人は一人では生きては行けません。

たった一人では、この地上にさえ生まれてはこられなかったのです。

人との関わり無くして地上世界(生活)は有り得ないのです。

だからこそ外に出て人と接し、挨拶を交わし会話を交わして、自分から世の中の人々の中に飛び込んで行くべきなのです。

コミュニティーやサークルや、友人知人同士でもいいのですが、街に出て人と接する機会が多くなれば、自然と運命の縁(えにし)も増えてくるはずです。

そして自分の個性(価値)を役立たせられる場所も、見つかる確立が高まるはずです。

 

ところで水の分子記号はH2Oです。これは水素原子(H)が二つと、酸素原子(O)が一つで成り立っています。

それぞれの原子には目に見えない手があり、水素原子(H)には一本の手、酸素原子(O)には二本の手があるのです。

酸素原子は手が二本あるからこそ、一本の手をもつ水素原子(H)2つと手を結んで《H−O−H》という形で安定(余った手がない状態を化学では安定状態という…)するのです。

『ほうし』の徳目は、この水素原子(H)の働きと同じであり、自分に出来ること(一本の手)を必要とする人に無条件で差し出す想いと行為を磨くものであります。

ここでもう一段ステージを上げてみたいのですが、自分を必要とする相手が、悪意や詐欺心がある場合は、断じて手を差し出さない強さも必要です。

この辺りが無我献身の難しいところであり、多くの誤解を受ける部分でもあるでしょう…。

しかし悪の手先に成り下がることが奉仕ではない…。

なぜなら悪心と手を組んでも精神が安定しないからであります。

このことは特に強く主張しておきます。

また相手の甘えや堕落の手助けをしても、結果的にみてもお互いが虚しいだけなのです。

『ほうし』の徳目である無我献身は、単なる慈悲魔ではないということを、心に刻んでおくべきなのです。

 

『ほうし』の徳目について語ってきたわけですが、この無我献身には地域的な制約が無く、時代的な制限もありません。

まさに力量の可能性は無限であり永遠であります。

取り掛かりは自らの内面清掃(反省回顧)ですが、自らの周囲に無我献身の想いで報いて、コツコツと地道に生きる姿勢を基礎的段階として堅持されますように…。

どうしても人間は見識が広がり人脈が増えると、物事の基礎を忘れがちであります。

天才は何も努力しなくても才覚を現すという説は迷信です。

本物の天才は、持続という天の意志を汲み取る者であり、日々の努力を続ける姿勢こそ天才の証明であるのです。

こうした天分の才覚を、コツコツと続ける努力を見失うことがないならば、いずれ数多の神々が当人の才能を賞賛して、影に日向に手を差し伸べて下さるでしょう。

無我献身の美徳は、こうした神々のご性質を魂の中に宿らせて地上に降り立った皆さんの、本来の姿であるということです。

 

 

 

16 徳性開発 【謙虚】