10 をつとめ

(感受精神)

 

『をつとめ』という徳目は、文字じたいが見慣れない言葉かもしれません。

『をつとめ』の『を』の字を『お』ではなく『を』の字を当てているのです。

『を』という文字は、50音の中では一番最後に控えています。

つまり『おつとめ』ではなく『をつとめ』とした理由は、勤め(務め)という概念が、現代では甚だ捉え間違っているからであります。

ともすると、会社務めをしている人であっても、自分が働いてやっている…とか、会社じたいの成果は自分が働いてやっているからだ…とか、とかく人間は傲慢になって自己過信に陥り、自分が自分が…と我を張って、ますます個別意識に埋没して、独我の餌食にされやすいということです。

謙虚の徳性の中(さらに感謝の徳性の底辺)の『をつとめ』の徳目は重要な位置にあり、何事も1歩でも2歩でも身を引いて、直面している環境や境遇の中で自らの在り方を再確認しながら、仕事に生活に取り組んでゆく姿勢を磨くものであります。

昔から働くとは側の人を楽させてあげることだ…と言われてまいりました。

この働くという本来の意味を正しく掴んで、明日への活力に変えていただきたいと想います。

 

普段の生活の中で、誰もが忙しさに振り回されながら、気が付くと一日が通り過ぎて、深夜就寝に着けば、瞬く間に朝となり、また喧騒の中に繰り出して行く…。

こうした平凡な毎日を繰り返すうちに、すぐ身近に存在する様々な物事に対しても無関心となり、日々の仕事はしているものの廃人のような虚しい毎日を送っている人も多いのではないでしょうか…。

それは何故なのでしょうか…。

この何故?と思う想いこそ、人生の謎解きをする接点であります。

何故?と思いづらい時期は様々な原因がありそうですが、むしろ何故?と思い返せる時期と場所とを、事前に用意することは可能ではないでしょうか…。

週末には野山に出掛けてみたり、海や大河に戯れたり、近くの公園でもいいのですが、少し違った観点から自分の置かれている現状を、一人で静かに見つめてみることも必要ではないでしょうか。

それを日々の日課に取り入れて、早朝の散歩や就寝前の一時に当てはめてもよいですが、毎日の仕事や学業の合間に、時が許す範囲でフッと立ち止まって冷静にリアルに、自分の人生を見渡してみるとよいのであります。

こうした習慣を身に付けるだけでも、疲れきった魂は喜び、明日を生きる小さな望みも見えてくるかもしれません。

 

静かに立ち止まり、今まで忙しさゆえに見えなかったものを取り戻すうちに、一つまた一つと小さな感動が蘇えってまいります。

この時点での感動は、まだ感動というほどの魂の響きはないにしても、今まで見落としていた諸々の事物は、十分に心の琴線を打ち震わせてくれるはずです。

それがいつも通勤通学で使っていた道端に咲く一輪の花であったり、青々と繁った樹木であったり、遠くに見える雄大な山々であったり、豊かに広がる海原であったり、つねに包み込んでくれる大気であったり、鮮やかに晴れ渡る青空であったり、サンサンと降り注ぐ太陽の光であったり、どっしりと支えてくれる大地であったり、人生全般を安定せしめる万有引力であったり…。

周囲を見回せば、数え切れない恩恵に生かされている自分が存在する。

たとえば緑の植物たちが二酸化炭素を酸素に還元してくれなかったら、人間は生きてゆけるだろうか。

自然界は無償で膨大な酸素製造工場を休みなく稼動してくれている。

また水の流転が無かったなら人間は生きてゆけるだろうか。

これもまた自然界は無報酬で雨を降らせ、川を流し、田畑を潤し、喉の渇きを満たしてくれている。

考えれば考えるほど多くの愛に生かされている自分であるのです。

そこに心底から感動する自分を見い出すかもしれません。

感動とは本来、心の響き合いであり、魂の故郷に対する切ないほどの懐かしさなのであります。

 

そうなのです。

この世界は生かし合いの世界であります。

人間も仕事を通して他の何かを(誰かを)生かさなければならないのです。

一生遊んで暮らしたいとか、悠々自適な生活を満喫したいとか、そうしたことは十分すぎるほど仕事を果たしている人こそが語れる言葉であって、何も成さざる怠け者の捌け口としてはならないということです。

すでに生かされているこの身を感謝して、自分も何処かの何か(誰か)の為に、その生命を生かすために、ご恩返しをするべきであります。

そのための手段方法として、すべての人間には先人たちが仕事まで用意して下さっているのです。

自分が仕事をやってあげている…といった傲慢な心持ちでは、こうした感謝報恩は理解できないでありましょう。

貴重な仕事をさせていただいている…と、一歩でも二歩でも精神的に身を引いて、静かに周囲を見渡すべきなのです。

ここに仕事という概念が、勤めという心掛けが、『おつとめ』から『をつとめ』の精神へと大政奉還されるのであります。

勤め(つとめ)に『お』を付ければ精神的にも『おにもつ』になるだけです。

同じ勤め(つとめ)に『を』を付ければ、謙虚な気持ちで感謝報恩となります。

『を』は接尾語として使われる大切な言霊ですが、近年の日本人は、この『を』の字を忘れ去って久しいのです。

それだけ現代は、こうした謙譲の美徳が廃れたということであります。

 

こうした感謝報恩の大切さは古くから語られた精神でしたが、この言葉を知っていて実践していたとしても、本当の意味で感謝報恩を体現しているかどうかは、疑わしい事実として映ります。

すでに感謝をしているという人が、無闇に不平不満を言いますか…。

生かされている有り難味を感じているという人が、感情を取り乱したりしますか…。

すでに育てられている想いに報いようとしている人が、批判中傷に明け暮れますか…。

感謝報恩という境地は、それだけ高潔な精神だということです。

したがって『をつとめ』の徳目を育む段階では、この感謝報恩の境地に少しづつでも近付くための初期段階として、感受能力を養い育てることが、日々の自己研鑽として行われるものなのです。

そうして地道にコツコツと、持ち回りの仕事を通して、全人類に対する人的貢献を目指すものであります。

仕事そのものは有り難いことに対価を伴なうものですが、それは貴方への評価の一環として素直に有り難く受け取り、その有り難味をまた日々の『をつとめ』を通して、ご恩返ししてゆけばよいでしょう。

そうして徐々に豊かな大御心(おおみごころ)を育んで、大いなる神に心を込めて報いてゆく貴方であれ!

 

 

 

16 徳性開発 【謙虚】