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11 八割思考 |
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人生は長く険しく、それでいて儚く急ぎ足で流れて(過ぎて)いきます。 時間の観念と同様に、取り組む者の気持ちしだいで、人生というものは長くも短くも感じられます。 そうした人生行路の中で、コツコツと地道に徳性を磨いてゆくことは、とてつもなく虚しい努力に思えたり、かぎりなく無謀な冒険を試みたり、人の心の基準は激しく揺れ動くこともあるでしょう…。 プロ野球選手であれば、バッターは三割以上をコンスタントに打てば強打者と言われ、四割以上の成績を残せれば大打者と言われるでしょうが、徳性開発においての人生という大リーグでは、五割以上を修めなければ心の変革はありえないのです。 しかもこの五割では、まだ自己満足の世界でしかないといえます。 なぜなら自分は善悪半々程度の善行を施す自信や実績があっても、これを他者から見れば同じぐらいの悪行が見え、第三者は悲しいかなインパクトの強い悪行の方に軍配を挙げがちであるからです。 たとえ悪行が殆ど無かったとしても、善行をするかしないかの判断として見ても、自分では五割以上の善い行いをしていたと自己満足していたものが、他者からすれば半分近くは何もしていないように見えるわけで、けっきょく白か黒かという判定になれば、他者は(人間悪…性悪説…の持ち主は特にですが…)先入観を用いて、何もせぬ貴方の方を本来の貴方だと決めつけ易いのです。 ゆえに表舞台(メジャー入り)で継続的に活躍するためには、更なる自己研鑽が必要になります。 これは人間の性かもしれません。 ましてや固定観念が強い偏屈者に掛かっては、10のうち9まで達成した成果であっても信じてもらえず、たった一度の失敗を過大表現されて… 『やっぱり失敗した…』 『今までの成果は無理して行った偽善だろう…』 …と、相手の性格を完璧に決め付けている迷妄者も存在します。 こうした片寄った極論に走る人に対しては、まったく問題外ですが、世間の目というものは、なかなか厳しいものであります。 ですから徳性開発において性格変革を臨むならば、八割以上を目指すしかありません。 しかもたまたま達した八割ではなく、はぼ継続的にステータスを維持できる八割でなければならないと想えます。
この八割を維持するためには、常に十割(100%)の実力を発揮しなければならないです。 八割(80%)を最終到達点としてしまうと、たまたま八割に達した喜びと安心感で気が抜けて甘えが出て、それまでの地道な努力を失ってしまう人が出てくるのです。 オリンピック選手が、トップアスリートとして金メダルを勝ち取った時に、その達成感に溺れて、その後の努力を怠れば、次のオリンピックでは思いもよらぬ不覚を起こしかねない…。 一度目の金メダルは努力と才能と勢いで勝ち取れたとしても、その金メダルを2度3度と続けて獲得するためには、更なる自己研鑽が必要だということです。 けっきょく最後は自分との戦い(甘えや失望、怠惰との戦い)になるわけですね…。 ですから八割を維持するためには、常に十割の力で臨まなければならないのです。 これと同じ視点で見れば、常に十割(100%)の力量を発揮するためには、目標が同じ十割(100%)であっては、継続的な力量の発揮が難しいのです。 やはり目標を掲げるならば、自分の現在只今の能力の上を設定値に置かなければならないのです。 つまり十割(100%)の力量を継続維持するためには、120%の目標を掲げればよいということです。 さらにここで霊的な観点を取り入れてみたいのですが、各人には一人に一体づつ守護霊が付いています。 守護霊は貴方自身の分身分霊なのですが、貴方が何かに取り組む時に、その姿勢が神の光に対して前向きであれば喜んで手助けしてくれます。 ここに自分の力量(100%)に対して、守護霊のバックアップ(100%以上)が加算されて、人間の限界を超えた能力が発揮されることが稀に起こってきます。 さらに特別な使命がある方には、その専門分野における指導霊が光を注いでまいります。 つまり本来の光に満ちた人間の可能性は無限であるということです。 これを少なく見積っても、守護霊のバックアップを考えれば、すべての人間にはその可能性が200%以上はあるということです。
200%の可能性の中で、 120%の目標を持ち、 100%の努力を続けて、 八割(80%)以上の成果を残せ…。 残りの二割(20%)は、次回への智恵と教訓とせよ…。
これが八割思考としての考え方なのです。 |