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14 達観思考 |
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徳性開発に前向きに臨む人たちの中には、その真面目さゆえに視野が狭くなる場合も出てまいります。 一つの目的(小目的)に達せんと、わき目もふらず突き進む姿勢そのものは尊ばれるものなので良いとしても、その達成が遅れたり、歩みの方が疎かになって慌てたりして、さらに真面目さゆえに周囲が見えなくなることもありえるのです。 この真面目さ、あるいは一途さは、他者からの心ない批判中傷を気にせず、悪波動の介在からも身を守る一つの手段ではあります。 しかし、その真面目さ一途さをこそ逆手にとって精神状態を混乱させんとする悪意もあることを知らなければなりません。 この悪意の根本正体は、第三者の嫉妬や羨望、劣等感、自我我欲などです。 したがって、こうした悪意はネットリとしつこく、真面目さ一途さで我が身を磨く人たちが、その徳育を放棄するまで、あるいは完膚なきまで、それらの悪意を止めようとはしないでしょう。 なぜなら彼らの背後からも、悪の権化といえる迷妄魔たちが、手ぐすねを引きながら彼らを操っているからです。 このように徳性開発に臨む者には、その道程を阻まんとする相手は人間のみとは限らないのです。 徳育者の魂の質が高まれば高まる程、闇の迷妄魔にとっては目障りな存在となるのです。 だから彼ら(迷妄魔)は、真理を学ぶ初期段階で当然のように潰しにかかります。 それはもう驚くほどの巧みで多様な手立てを高じてまいります。 こうした惑わしに負けてはならないのです。 けれども直接対決をしても殆ど勝ち目はありません。 あちらは霊幽界から観察しているわけで、こちらの弱い部分は既に一部始終、残らず知れ渡っているからです。 ですから徳育者は無駄な勝負を挑む必要は無いので、一段でも二段でも大きな視野を持つ工夫が大切であります。
達観とは何かと言いますと、ちょうど鳥瞰図を見るようなものです。 ヒバリが空高く飛び立って、地上の在りと有らゆる現状を見渡す行為に似ています。 そこにはクマやカラスなどの獰猛な生き物が、自分のヒナ鳥の巣に近寄っているかもしれない…。 可愛いヒナ達が、まさに襲われんとしているかもしれない…。 しかし一旦は空高く飛び立って、その現状を見渡した時に、獰猛なクマやカラスは、可愛いヒナ達に近付いてはいるが、そのクマを(カラスを)ヒナ達がいる巣から逆方向に誘い出せばよいということが判ります。 それでヒバリは勢いよく鳴いて、自分の方にクマやカラスの注意を引き込んで、獰猛な天敵の方途を変えるのであります。 これは例え話ではありますが、達観というものは自分の現状を大きな視野で見渡すということです。 将棋の棋士が何十手目かで指し手が行き詰まった時に、彼は暫し長考して、投了までの幾種類の指し手を想いの中で読み取ります。 その数百手にも及ぶ長考は見事というほかありません。 達観するということは、このようなことでもあります。 人生途上で行き詰まりを感じたなら、暫し立ち止まって、本来の自分の当初の完成図(目的目標に達するまでの道筋)を今一度、確認してみることをお薦めします。 現在只今の自分は、いったいどの辺りを歩んでいるかを、一人静かに見渡してみるのです。 その現状の自分が直面する問題は、ある程度は以前から予想できたであろうし、今後も現れてくるであろう…。 そしてこれを乗り越えた先には、自らが描いた夢の実現が待っている…。 その実現した夢は、具体的な姿で想い起こし、この夢の描写が具体的であればある程、現状での自分の行き詰まりが、取るに足りない小さな障害であったと知ることになるのであります。 障害の無い人生は有り得ないが、人生の達人とは、このような人のことを言うのでありましょう。 |