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17 柔和思考 |
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人間の一生は、その人の持ち場において、だいたい同じような毎日を平凡に繰り返していると想います。 友人関係にしても、仕事や学業にしても、そこで交わされる会話にしても、ある一定のスパンを繰り返し行っているのではないかと想われます。 それゆえ個人的な口癖や行動パターンが定着していたり、他人を見る目が主観的な先入観になっていたり、思い込みによる偏見に満ちていたり、人それぞれ片寄りがちな思考回路を持っているでしょう。 占いなどで性格分析をしてみても何かしらのタイプに当て嵌められるし、社会的な役職などを持つと、その役職という型に嵌められて、自他共に認める見方や話し方が定着したりもします。 知らず知らずのうちに、長い期間にわたって同じような言動が続いたわけで、しかも何十年もそれが続けば、これはもう立派な個性が仕上がった状態であるといえるわけです。 ゆえに思考は人の型に納まり、その人型として固まった状態にあるということです これは個性化そのものがいけないという意味ではありません。 個性は尊いものですし、自分を正しく表現することが出来る貴重な発現形体であると想います。 しかし人は、この個性化が固まりすぎて、自分でも性格を変えたいが、変え難い性格に弾き返されて、また長い人生を連れ添った性格と共に歩んでゆくことになります 何年、何十年とかけて固めてきた性格なのだから、同じだけの年数をかければ変革もありえるでしょう。 ましてや何倍もの精神的努力を発揮すれば、その変革の期間も短くなる場合もありえます。 この世界は心の影であり、環境境遇も心の投影であります。 それは言動を通して現れてきたわけで、ここに思考をこそ変革してゆく観点が、おぼろげながらに見えてくるのであります。
個性化は尊いが、物質化は避けなければならない…。 これは個性が物質のような形ではないということを物語っています。 個性は、あくまで精神面で培うものであって、外部に直接影響する言動そのものに個性を重視するものではないのです。 むしろ人間性そのもの、人格そのものにこそ、尊い個性を育むべきではないでしょうか。 ましてや持物や衣服、装飾類などに個性化を求めるのは、もはや個性化ではなく、個性の物質化なのであります。 自分を飾りたがるような人…。 これは知識でもそうですが、外部から内部に取り入れて自分を飾ろうとする人は、せっかくの自由自在な個性を、他者にも見えるような形骸化に求めるのであります。 肉眼で見て確認できる個性(物質化としての…)は非常に判りやすいが、そのような凝り固まった心持ちを、安易に暴露しているにすぎないのです。 むしろ形骸は質素に、心の内面は柔らかく、それでいてスマートに生きる工夫が良いと想われます。 シンプルに生きるためには、心の柔らかさが必要でしょう。 心を固めてしまうと、その固めた思いが人生を彩り、性格も持ち物も、心同様の拘りを呈してくるでしょう。 心を柔らかくするためには、思考そのものを柔らかくするよう心掛けるべきです。 考え方を柔らかくする…。 物事を右か左かと、白黒ハッキリさせることも判断力には役立ちますが、中間もあれば上も下もある。 または左右両方を選択する余地はないか…と、いろいろと試行錯誤を重ねることは出来るのです。 一つしかない答えを内面にもって、言動において一つの結論を言うのではなく、内面には複数の解答を豊かにもっているからこそ、あらゆる場面に応じた解答を打ち出せるのであります。 |