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23 慈愛思考 |
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この地上に生まれてから、現在に至るまでの間を振り返ってみるならば、家族を始めとして、学校や職場で巡り合った人たちの何と多いことか…。 さまざまな事件や事故があったかもしれない。 怪我や病気に苦しんだかもしれない。 けれどもこうして現在只今の自分がココにいるということは、奇跡の連続であったのです。 日本はまだ治安の良い国であるが、一生涯、何事もなく過ぎてゆけるかどうかは、誰も補償は出来ないでしょう。 どこかで事件に巻き込まれるかもしれない。 重大な怪我や重病に蝕まれるかもしれない。 本当は五体満足でいられる方が不思議なのかもしれない…。 かつて何度も窮地に立たされた経験をもつ人なら思い浮かぶかもしれないが、その窮地のたびに何らかの助力はなかったでしょうか。 奇跡的に救出された経験をもつ人もいるでしょうが、いつも危ない所で、何処かの誰かに導かれたり、苦しい渦中でアドバイスをいただいたり、見知らぬ誰かの助言で道が開かれたり…。 人生には所々に水先案内人が存在していたはずです。 もちろん本人は、自分が水先案内人としての役割を担っているとは自覚していないかもしれないが、結果として人助けになっていた場面もあったと想います。 また中には学業や職場において、あるいは街中にて、困っている人を手助けした人もいるでしょう。 人と人との繋がりは、こうした目には見えない愛の連鎖で結ばれているのです。 なぜあの人は、あの時に自分を助けてくれたのか、か弱い自分を守ってくれたのか…。 これは人間の心の中に他者への慈しみがあるからに他なりません。 小さな子供が可愛いと想う気持ち、そのいたいけな笑顔を守ってあげたいという気持ち、これが人の心の中に、しかもその心の中枢近くに存在する慈しみなのであります。 幼い頃の自分を育ててくれた両親は、たんに義務感だけで子供を育てていたわけではないのです。 誰の心の奥底にもある、この慈しみが愛情となっている…。 普段の忙しさ、人生の厳しさゆえに、本人が気付いていなかっただけで、誰もが慈しみの心をもっているのです。 この慈しみの連鎖で育てられてきた自分は、これから何のために生きてゆくべきでしょうか…。 親の愛を、兄弟姉妹の愛を、知人友人からの愛を、これから生まれ育ってくる子供たちの明るい未来のために生きるべきではないでしょうか…。 未来の子供たちに、過去の借金だけを背負わせるつもりでしょうか…。 子供たちには罪はないのです。 さらに人間は、この地上に生まれてからは、一人に一体づつ守護霊が居て、要所要所で導き見守っています。 奇跡的に救出されたような時は、こうした守護霊の影の援助が大きかったのです。 自分では気付いていない所でも、何度も命を救われているかもしれない。 しかし守護霊たちは、こと細かくそれを言ってはこないでしょう。 皆さんは世紀末とも言われた時代の転換期に当たって、この慈しみの心を放棄してはならない…。 人としての真心を失ってはならない…。 可愛いものを素直に可愛いと想い、か弱い者を身を挺して守り、つねに相手の心の痛みを感じられるような、心の優しい人であって下さい。 最高の慈しみを心に有した人は誰でしょうか…。 それは神さまです。 そして本来は神の子である人間一人一人が、誰もが心の奥底に神さまと同じ慈しみをもっています。 愛は慈しみによって、総ての人々を命綱で繋げているのであります。 あなたの中にもそれはある…。 現代を生きる皆さんは明るい未来を開き、可愛い子供たちに総てを委ねましょう。 『そう、かけがえのない子供たちの笑顔に!!!』 |