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28 一社会人であることを忘れるな |
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徳性開発に臨む皆さんには特に伝えておきたいことがあります。 日々徳性を磨かんと心掛ける者には、本人の守護霊も喜んで手助けして下さるでしょう。 それゆえに今まで出来なかったことが、いとも簡単にクリアしてしまうことが多いと想います。 しかしここで勘違いをする人が非常に多いのです。 目先の好結果を自分の実力だと自惚れるのは早計であります。 そうした人は自惚れという魂の後退によって、本人の守護霊は再び手助けを禁じられるのです。 するとたちまち今まで順調に出来ていた物事が躓き始め、再び数々の障害が圧し掛かってくるのであります。 地道に徳性を積み重ねてきた方であれば、苦しみながらでも徐々に克服してゆくでしょうが、そうした真なる徳性開発者はコツコツと努力を積み重ねることを惜しまない性質になっています。 しかしいつも、いい加減な所で努力を放棄するような人たちは、まだまだ実力が伴なわないことを知らず、守護霊の手助けを自分の実力だと過信していると、自惚れという足枷が、その後の徳性開発を、すっかり忘れさせてしまうのです。 自己過信は禁物です。 自分が高まれば高まる程に、さらに自己研鑽に打ち込む姿勢が続かなければならない…。 その基礎的精神を培うために、『謙虚』という徳性が存在するのです。 この『謙虚』の徳性が根付いて、さらに一生涯(強いては永遠に…)その基礎的努力を続けるからこそ、この次のステップである『調和』の徳性が正しく磨かれてゆくのであります。 《 実るほど頭を垂れる稲穂かな 》 この先人の教えが示すように、自らが高まったと思えるならば尚更のこと、平凡な一社会人としての視野を失わないで下さい。 不完全なまま悪戯に真理を他者に教えようとしないで、まずは自らの徳性を磨き、その実績を地道に積み重ね、その良い傾向性を確実なものとして、次なるステップを目指していただきたい。 たとえば今まで、のらりくらりと生活していた人が、徳性を育むようになったなら、いきなり数々の成果が現れて大変身してしまった…ということもありえるわけです。 すると周囲で共に生活していた人たち(学校や職場の人たち)は、いったい彼に何が起こったのか不思議に思うのです。 しかし人の思考評価は余り当てになりません。 なぜなら疑いや嫉妬などのマイナス面に片寄りがちな人たちもいるので、彼らの暗黒思想に掛かれば、好成績も体裁の良い裏工作によるものだと邪推されがちであるからです。 技術・能力を発揮するための学力や職能力は、それを発揮する機会(試験や業務)であれば、もはや全精神を打ち出して、十分に実力を発揮していいのですが、ひとたびその機会を外れ、一人の人間として周囲の人たちと接する場面では、彼らから一歩下がった立場に自分の存在を置けるような、徳者としての心の余裕を見せていただきたいと想います。 常人は大きな変動には合せづらく、今までの貴方が突然180度の変革を現すならば、周囲の誰もが驚くのは当然の話でしょう。 そうした羨望を喜ぶようでは、『謙虚』の徳性において、すでに落伍者であるということです。 むしろ変革は360度の変転をしてこそ、内面の精神的向上が普段と変わりない外見に映り、要所々々で発揮される学力や職能力が、さらに輝いて見えるのであります。 自惚れや自己を衒う気持ちは、徳性開発においては低レベルの精神状態で、最も早く乗り越えなければならない克服要素なのであります。 こうしたことも自己を振り返り見る習慣があれば、その場その場で自分を戒め、外しかけた道を自ら軌道修正して、またコツコツと努力を続けるのであります。 『謙虚』の徳性は、まさに地道な努力の結晶であります。 |