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31 霊を恐るるなかれ… |
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人間は本来『霊』であります。 あなたの本質は『霊』である。 人間の肉体に宿りたる霊体こそ、貴方の本来の姿であります。 この地上で天寿を全うし、死期を迎えれば肉体を脱ぎ捨てて、霊体は霊界に帰るのであります。 しかしこの事実を受け入れられない霊や、地上に対する執着が多い霊は、霊界に帰ることなく幽界を彷徨うことになります。 この幽界というのは、四次元世界において最も地上界に隣接した霊世界で、そこから地上界へは、ほんの小さなキッカケさえあれば、一瞬で出入り出来るのであります。 そうしてたまたま霊感のある人が通りかかると、その姿を見たとか、遭遇したとか騒がれるのだが、幽霊を見たと驚いている本人もまた、同じ霊であります。 霊が霊を見て驚いている…。 肉体を持っているか持っていないかの違いがあるだけである。 幽霊が肉体を持っていないからこそ恐がるなら、それも仕方ないが、浮遊霊を恐れているにもかかわらず、自らに憑依した霊には気付かない人が多いのにも困ったものなのだ。 無性に情感が出てきたり、やけに他人が嫌いになったり、極度な躁鬱に入り込んだり、急に感情的になって、その高ぶりが抑えられなくなったり…。 こうした状況下を有能な霊能者が見れば立派な憑依現象に映るでありましょう。 肉眼には見えない霊現象の方が、よほど恐れねばならない…。
しかし徳性求導者は違います。 彼らは自らの心を時おり顧みて、それが本当に自分の思いであるのか、それとも去来する思念であるのかを自己チェックするのであります。 かくして彼は早期に悪質な憑依を見破り、思いと行いとを改めて、また一歩づつ歩みはじめるのであります。 そうした人は、もはや霊を恐れる必要はないのです。 たとえその肉眼で霊姿が見えても恐れることはない…。 しかし興味本位で近寄らぬことです。 霊に囚われすぎると、その心の投影として頻繁に霊現象が起こってくるのです。 四六時中このような霊現象に遭遇していたなら、もはや一般人として生きて行くことが難しくなるのです。 またそうした特異な霊感を持って、自分が非凡だと思い違いをすると、更に深刻な結果が待っています。 そうした迷妄者をこそ、地獄の悪魔は手先として悪用しようとするからです。 あなたよ、魔界の手先になってはいけない…。 もともと霊感は、霊を察知するための触手にすぎないのです。 これは類い稀なる才能でも何でもなく、少々努力すれば誰もが持ちうる能力であります。 その霊的能力すらも自分の意志でコントロールするのが徳性であります。 世に霊感があるという人たちの大半は、低級霊体質であります。 だから巷に迷っている幽霊が見えたところで自慢話にもならないのであります。 低級霊感に引きづられた者が行き着く先は不安や恐怖であり、迷妄や破壊であり、生命としての死地(地獄)であり、さらに深い暗黒の底無し沼であります。 ゆえに中途半端に霊感を開いたような人ほど、魔界の餌食にされやすいのです。 しかし高級霊感には上限がありません。 遥かなる高次元まで繋がっているため、霊感が観念力となり、観自在力や如心にまで繋がっています。 徳性開発における『謙虚』の徳性は、この両刃の剣でもある霊能力を、自らの意志で使いこなせる人徳者を育てるものでもあります。 ゆえに徳性開発における14徳性の中でも『謙虚』の徳性は、登竜門として大きく立ちはだかり、ここをクリアしない者を、安易に次なるステップへは行かせないような、厳しい関門になっているのであります。 徳を磨く者に、早道は無いと心得て下さい!!! |