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34 神々は常に見守っている |
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霊界は膨大な世界構造になっています。 これはあまり地上的見地で型に嵌めて説明しない方がいいのかもしれません。 なぜなら人は往々にして神の世界を人間感情で把握するため、地上に残された神話や伝承を見れば判りますが、神々が誠に人間的情感のままで神の世界に居られると勘違いするからであります。 たとえばラグビーのボールは見る角度によって(その角度のみから見たならば…)まったく違った形に写ります。三次元的には楕円形でも、二次元として捉えれば見る角度で違う形のボールに見えるのであります。 それでもラグビーボールは同じラグビーボールなのです。 それと同じように、神々の世界を二次元的に見ても、三次元的に見ても、それは神の世界の一面でしかなく、そうした狭い視野の中に納まってしまうほど、ちっぽけな世界観ではないということです。 ましてや四次元も五次元も、さらに六次元をも超えた神の世界は、地上界にある精密な機械であっても推し測れるものではないということです。 さらに大神の世界は、七次元も八次元も九次元も超えた、人為を遥かに超越した高次元意識なのであります。 その十次元以降の大神の存在を、形而上的に表現することは、もはや不可能だといえます。 しかし大いなる神は人為を超越した世界にのみ居らっしゃるのではなく、人為で知覚できる皆さんの三次元世界にも、大神の愛念が充ち満ちています。 それは目には見えないが空気に包まれているように、常に太陽の光が注がれているように、大地に引力によって繋ぎとめられているように、人間の目には見えなくとも、総ての生命は神の愛に包まれ生かされ育まれているのであります。 こうして大神の愛念に常に包まれ守られ導かれている人間は、その大神の御存在を素直に受け入れ、神の生かし育む波長に、自分の心の波長を合わせればよいのです。 神々は、それを静かに望んでおられます。 静かに…という理由は、人間は神の操り人形ではないので、自由意志をもった人間が、善悪のドチラも成しうる自由の中で、自らの意志によりて主体的に善を選び採ることを、ひたすら待っていてくださるのです。 この永遠なる神の愛は、時間も空間をも超越した慈悲であり慈愛であります。 ここにこそ人間の転生輪廻が永遠に繰り返される本意があるということです。 忙しい日々の学業や仕事の合間に、ほんの少しでも虚しさや切なさを感じたなら、あなたは静かに心の内面を見つめて、大神の愛を想い起こして下さい。 そこには間断なく総ての生命たちを愛しく見守りたもう大神が、いつも微笑みながら両手を広げて、あなた自身を導いておられるのであります。 悠久の昔から永遠なる未来にまで、大神の愛が行き届いていない時間も空間もないのであります。 善人も悪人も、その存在が消滅されない理由がここにあります。 たとえ大悪人であっても、いつかは本人の意志で心を改めて、神の元へ里帰りするだろうと、大神は永遠なる時間を開いて、ただただ待っておられるのです。 自由意志を託された人間であるからこそ、自らの意志で神の愛を受け止め、自発的に神の愛を生きる姿勢が、徳性として精神に具わり、善き魂の傾向性として育まれてゆきますように…。 |