07 め (瞑想)

 

科学の発展とともに世の中が便利となり、欲しい情報は苦労なく得られる時代になりました。

日常的にもネットを開けば殆どの調べものの回答が得られるようになっています。

科学の発展は人間生活にゆとりを与え、人類の進化に広く貢献しております。

それとともに廃れてきたものもあるはずで、便利さの中にいて忘れられてきたものが心の深まりであり、豊かさではないでしょうか…。

たいして考えを凝らさなくても欲しい情報は手に入るのです。

深い思考、彩のある発想、物事を考える習慣は廃れつつあるのでしょう。

『瞑想』の徳目は、この思慮思考を習慣化させることによって、求める回答を自身の内部(守護霊)に問いかけて、対話や発想を通して心の豊かな人格者育成を目指すものであります。

 

瞑想とは何か…というと、目を閉じて想うということであります。

この場合の閉じる目というのは現実の目であって、見た目で判断していた私見を戒めて、広大な領域が広がる心の瞳を開くということであります。

したがって宗教的修行者や思想哲学者などの特定の人しか出来ないものではなく、どのような人であっても、たとえ目を開いていても、想いを描く習慣さえあれば常日頃から出来るものでもあります。

子供たちが(大人でもそうですが…)空想の世界で遊んだりしますが、これも瞑想の一つなのです。

心の中に規制を持たず、自由自在に発想を展開させ、いままで見えなかったものが守護霊の導きによって果たされるようになるでしょう。

しかしここにも大きな危険があります。

個人の心の領域は秩序立った広大な神の世界に繋がっていますが、その裾野のあたりには無秩序な領域も広がっています。

魑魅魍魎の世界…魔界・妖怪・迷妄の世界も隣接していて、地上人の心のアンテナが指し示す方向に瞬く間に繋がっていくのです。

ですから『瞑想』の徳目を磨く者の中には、間違って如何わしい世界に通じて、その妖艶な亡者たちの巣窟にされる危険も隣り合わせしています。

したがって『瞑想』の徳目を磨く者には正しい方向性が必要になります。

その正しい方向性とは実相の神の方向であります。

その正しい方向が本当に正しいのか否か…。

そこから始めなければならないでしょう。

そのために『瞑想』の徳目を磨く者は、その基礎段階にあたる『もとめ』の徳目を日々磨く必要があるのです。

求める方向性が魔界であったなら、展開される瞑想は我欲と破壊に蹂躙されるでしょう。

しかし求める方向性が正しい実相の方向であるならば、展開される『瞑想』の徳目も天国的世界観が展開されるでしょう。

よって『もとめ』の徳目を日々の自己研鑽として積み重ねつつ、正しい『瞑想』の徳目も、その質を高めてゆくべきなのです。

 

『もとめ』の徳目では個人的な知識と知恵の違いを語ってありましたが、『瞑想』の徳目においては客観的な見識と叡智に触れることになります。

それは守護霊との対話が始まるということなのです。

この初期的段階では対話というものには程遠いでしょうが、さまざまな気付きとしてのインスピレーションや、具体的な映像としての導きが得られるようになるでしょう。

だからこそ尚更に謙虚な姿勢が望まれます。

窓口としては個人の守護霊が接見するでしょうが、その意味内容によっては更なる上位霊(指導霊)が導く場合もあるからです。

横柄な態度では既に波長が違うため、神々の高貴な言葉を感受しづらいのであります。

また波長同数の法則によって、繋がる霊世界が歪んでしまうと大変な末路もありえます。

したがって瞑想が宗教的行事として行われるならば、尚更に初期的段階を踏み固める必要があるでしょう。

形だけ真似た瞑想には数多くの危険も隣り合わせていることを忘れてはならないのです。

 

謙虚の徳性の中に『ととのえ』という徳目(精神統一)がありますが、この段階では自己自身の心の調律でありましたが、調和の徳性における『瞑想』の徳目では、自己自身の問題を超越した者が、他者への愛の想いを深めるために育んでゆく徳目であります。

瞑想の『想』は相手の心と書いてありますが、この想いによって愛に裏打ちされた想念感情は、お互いの閉ざされた心の扉を開かしめ、意志疎通の想いを深めてゆくことでしょう。

心の領域は他者には見えないものですが、霊界からはガラス張りのごとく守護霊たちは総てを見つめています。

だからこそ他者に誠実である前に、自身の内なる良心(守護霊)に忠実であるべきです。

人生の総てを清らかな心のままで貫くことは困難でありましょうが、そこにも人と時と処とを弁えた想いによる善性を使い分けることによって、徐々に人格的精神状態も良化してゆけばよいでしょう。

歩調は緩やかであってもいいので、停滞(後退)の少ない生き方を目指すべきなのです。

 

瞑想を行う際に様々な妄想に邪魔立てされることもあるでしょう。

意図的に瞑想状態に入れなくするために強烈な睡魔に襲われることもあるでしょう。

また瞑想に入る際にあえて思いを歪める迷妄魔もいるのであります。

そうしたときに客観的な目で自分自身を見つめられるようにしておく必要もあります。

主観的に客観視をする人もいるので困ったものですが、普段の自分とは違った『もう一人の自分』で判断できるようになることが望ましいです。

この『もう一人の自分』こそ守護霊の目線なのです。

結局のところ『瞑想』の徳目を磨くということは、地上人間としての主観を去って守護霊の視点になって想いを巡らせる訓練でもあるということです。

 

 

 

17 徳性開発 【調和】