08 え (信頼)

 

 

どのような環境に置かれても人間関係は無視できない問題であり、人生最大の課題でもあります。

個我の悟りは尊いけれども、その究極の目的は全我の悟り(大愛)に至るための大切な原点回帰の場所として、個我の悟りは尊いものなのです。

我が侭な自己実現を求める心を入れ替えて、自らの個性を全体の繁栄のためにお役に立てたいと切に願う心持ちこそ、今後の宇宙時代を生きる皆さんにとっても生きる指針になりえるでしょう。

調和の徳性の中には『信頼』という徳目があります。

人間関係に信頼が無かったなら、心の中には虚しく切ない隙間風が吹き荒れるだけです。

偽りの繁栄は、やがて諸行無常の響きを残して朽ち果てていくのみです。

そこに愛がなければ、お互いの心を歩み寄せる因果(善果)は生じてこないのであります。

地上界は陰陽二元の世界観で成り立っておりますが、かつてより性善説・性悪説として人間の根源論が語られてまいりました。

この分類(性善説・性悪説)は地上界でのみ対比的に闘われる論説です。

人間の魂が永遠に輪廻する事実や、生命における自由と責任に裏打ちされた主体性などから考察するならば、性善説も性悪説も偏りのある論説であると解ってまいります。

善に向かうも悪に向かうも、人間の心の自由意志によらねばならない…。

その自由意志によって自ら善を選択し、その精度を徐々に高めてゆくことが望まれるのです。

神は自由意志を持たせた状態で人間を創造されたのです。

単なる操り人形ではなく、主体的に善を選択することをこそ期待しているのであります。

善にも悪にも染まりやすい人間は主体性が薄い状態だと言えます。

また強いて善を採ることもないが悪になびくことも少ない人も主体性が薄い状態です。

しかしこの主体性の薄さは何らかのストッパーにはなっているかもしれません。

また主体性の強さで悪にばかり染まる傾向性は、まさに病的だと言えるでしょう。

しかしその主体性の強さで進んで善を採り、その傾向性を貫くならば、それこそ神が人間に託された願いの根本成就になります。

ようするに神が人間に託した自由意志は、究極の『信頼』ではないでしょうか…。

人間は個人の意志によって善にも悪にも傾倒すると知っていながら、神は大御心で限りない『信頼』を寄せているのであります。

一言『信頼』と言っても、何をどのように信頼すればいいのか…。

この答えを正確に語れた方は本当に少ないです。

なぜならここには真理に対する悟りの段階が露呈するからであります。

より深い悟りを得ている人の方が、より正確な(確信に近い)答えを有しています。

つまり『信頼』の徳目も、その高まり深まりには限りがないということです。

浅はかな答えで満足している人もいれば、現在只今も徳目を深め続けている人もいて、多岐にわたる解答の相違が理解できず、人は他人を疑い、裁いたり排斥したりを繰り返すのであります。

古事記の神話によりますと、父神(伊邪那岐神)から海原の国を任されたことを嘆き悲しんだ須佐之男神が、母神(伊邪那美神)の居る世界に訪れるため、とりあえず姉神(天照大御神)に挨拶するために高天原に立ち寄ったのです。

それを聞いた天照大御神は、それまでの弟神(須佐之男神)は荒い心が多かったため、なにか良からぬ難事を持ち込んでくると思い込み、弟神(須佐之男神)を暫し疑ったのです。

それでその赤心(真心)を証明するために誓約(うけひ…心の状態を確かめ合う)を行いました。

その結果、須佐之男神の真心は潔白であったのです。

ここにおいて心の潔白が証明された須佐之男神は勝ちに乗じて慢心し、数々の天津罪を犯すのであります。

方々での乱暴狼藉、神聖なる場所での愚弄汚濁、心ない殺傷…。

それらの一つ一つの悪行為に対して姉神(天照大御神)は弟神(須佐之男神)を弁護したのです。

弟が田畑の畦を壊すのは、新たな用水を開くためであろう…。

神殿を糞尿で汚したのは酒に酔ったからであろう…。

こうして一つ一つ宣り直し(善意に言い換えた)されたのです。

これは先の思い込みに対する自己反省を通して、先ずは自分の方から悔い改めた姿でありました。

本来の太陽の心に立ち返ったことを意味しています。

自分の方から心を入れ替えて相手に接し続け、それでも相手の悪行為が治まらなければ、もうそれは相手の問題(責任)であるということです。

古事記の神話の続きでは、須佐之男神の横暴がエスカレートして、ついに天照大御神は岩戸にお隠れになったのです。

この神話には『信頼』の徳目の意味あいが色濃く描かれています。

つまり『信頼』の徳目が揺らいだならば、その基礎段階にあたる謙虚の徳性(『ようき』の徳目)に立ち返れということなのです。

人間には善も悪も成しうる自由な心がある、善意にも悪意にも受け取る自由意志もある、それらの選択肢の質を高めるのは自分の日々の努力であり、先に自分の心の内部にある反省鏡に光を灯して悔い改め、自らの原点に立ち返ることが急務となり、しかるのちに始めて他者の分析に入るのです。

そこで始めて冷静に周囲を見つめられる心の余裕が生まれ、相手の表面的な悪行為の内部に潜む本来の神の子としての実相を見い出し、その実相をこそお互いの神性だと信じて、その後の対処を行うのであります。

その時に始めて『信頼』の徳目は、主体的選択肢を行使した本物の信念にまで高まるのであります。

 

 

 

17 徳性開発 【調和】