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13 せ (誠実) |
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真摯という言葉がありますが、真面目で熱心なこと、ひたむきな姿勢を意味する言葉ですが、この真摯という言葉は『誠実』の徳目に近いのかもしれません。 真摯な態度(真摯に受け止める)が何に対する真摯さかを明白にする時代がきています。 この解答が神の御心に対する真摯さとなれば、それはそのまま『誠実』の徳目になりうるでしょう。 つねに始まりは神であり、神の愛が原点になければならないのです。 旧約聖書の冒頭には【始めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。万のものこれによりてなり、これによらでならざるはなし】 すべての始まりは神であり万象万物の原点は神であります。 『誠実』の徳目も常に原点は神であるということを見失ってはならないのであります。
神の愛が原点であるならば、人間関係における誠実さが何であるかが見えてくるはずです。 一言でいえば愛を貫くということであります。 地上で生きる人間は一生涯を聖人君子で生き切ることは難しいでしょう。 巷には誤解曲解が溢れています。 そうした中で、すべて相手の言動に合わせてばかりいるなら、自身の基本精神も安穏ではいられなくなります。 NOという自由を失ったなら、それはもう隷属的立場に堕したのと同じであります。 YESとNOを自身の基本姿勢に則って行使できなければ、単なる偏屈者になるか日暮らしになるか奴隷になるかの何れかでしょう。 そこには生涯を通して貫く真理が必要になります。 この真理こそ『愛』に他なりません。 愛は総ての全てであり、極大(マクロ)であり極小(ミクロ)であり、その空間を埋める全域でもあります。 そこに流れる愛は、生かし育み導く想いであり、万象万物の帰り着く原点でもあります。 地上界での人間は愛によって始まり、愛によって終わります。 これは始まりなき始めであり、終わりなき終わりであります。 転生輪廻を超えた愛こそ、『誠実』の徳目が目指す原点なのです。 つねにこの原点に回帰しながら、人の誠実さは日々深め続けるものであります。 その範囲は無限であり、その期限は永遠であります。 調和の徳性は、この『誠実』の徳目を貫くことで自然法邇に自己展開してゆくことでしょう。 人間心で了見の狭い制約を設けなければ、個性は限りなく純粋化します。 それは湖面の波立ちが自然に凪いでゆくように。 濁った土埃が自ら沈静化するように。 余分な計略を行使すればするほど人の心には迷いの粉塵が立ち上りますが、無駄な足掻きを止めたとき、大自然の法則に従って全てが大調和に向かうことになります。
大切なことは『誠実』に生きるということでありますが、前向きに着々と徳目を磨く心持ちを貫き、何処までも持続する意志を捨てないことです。 なぜなら必ずといってよいほど、徳性具現者には大いなる試しがやってくるからです。 悲しいかな世間には了見の狭さで他者批判を重ねる迷妄者も多いのです。 彼らは自己認識の狭さに気付かないまま、歪んだ悪意を正義だと誤解をして、その悪痕を自身の尺度として他者批判を繰り返します。 とりわけ徳性具現者を偽善だと決めつけ、極度の偏見で潰しにかかります。 自身が悪霊に左右されていることも気付かず(気付こうともせず)その雑言悪癖は留まることを知りません。 さらに深刻なことに、そのような迷妄者に限って自身の雑言悪癖を世直しの如くに思い込んでいる…。 またそうした迷妄者ほど熱心であるから困ったものであります。 彼らに足りないものは自己反省の習慣でしょう。 自分自身の心の内面を正しく見られなくなったなら本当に要注意です。 反省をしたくても出来ないような自己展開が常道になると、自分に都合のよい方向にプラス思考を展開します。 こうした間違った魂の傾向性が心の表面に蔓延ると、なかなかそれを取り去ることは難しいです。 魂の本質である『愛』に対して、誠実に生きる姿勢を確立するべきでしょう。 そのためにも謙虚の徳性の中の『そなえ』の徳目が日々の基礎的修練となります。 『誠実』の徳目においても早道や抜道は無いと心得なければならないのです。
人生の迷い道に入り込まないためには、強き信念が必要であります。 この信念は盲信とは違います。 魂の本質が『愛』であると信じるならば、進んで比較対照(自己反省)するべきなのです。 理想と現実のギャップが見えるからこそ正しい反省と実践が出来るのであります。 信念が盲信となってしまうと神の子には間違いは無いと思い込んでしまいます。 そして歪んだ精神のまま猛進(プラス思考)してしまうのです。 ここに信仰を深める者の陥り易い底無し沼が存在します。 自身を神の子だと信じられるのであれば積極的に心の軌道修正をするべきであります。 その上で『誠実』の徳目を日々着々と磨く貴方であれ…。他人の視線や意見に左右されて心が浮き沈みしないように最新の注意が必要です。 黙々と神の愛を信じ、神の愛の原点に置換(反省)しつつ、他者への愛を行ずることです。 雲一つ無い青空のように、小さな障害に左右されない大らかな貴方でありますように。 徳性開発は、真剣に取り組む者にとっては、何処まで行っても一通過点であります。 |