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16 へ (平衡) |
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徳性開発というものは、常に自我の克服と対峙しざる負えない運命にあります。 とくに調和の徳性は、対人関係における調整の原理でもあります。 ゆえに自我が強すぎては調和はありえないのです。 なおさら『平衡』の徳目において自尊心や利己心が強いと、他者との人間関係のバランスなど無関係になります。 だからこそ自我我欲は謙虚の徳性で克服しておくべきなのであります。 他者との調和を臨んだ際に『利己心ありや否や…』を常に顧みるあなたであって下さい。 謙虚の徳性は既に乗り越えた徳性であると豪語する者ほど、軽はずみで危険な人物であると知っておいて下さい。 間断なき謙虚の徳育があってこその調和の徳性なのです。 人間関係においての平衡(バランス感覚)の主役は常に相手にあります。 ゆえに他者との対応において変化を強いられるのは自分側であるのです。 相手が進んで徳性を学んでこない限り、こちらの基本的な言動は受身となります。 豊かな心で全てを受け止める基本姿勢を貫くべきです。 そこで縦横無尽に相手にマッチした自分を表現してゆくことになります。 しかしこれは日和見主義ではないので注意が必要です。 ただ単に表面的な対応を施すのみであったのなら徳性は必要ないのです。 相手に合わせるだけであったのなら、いつしか我欲の強い迷妄者の隷属的立場に置かれるだけであります。 そうであるならば何が必要なのか…と言いますと、現状をスタートラインとした進展であります。 それは小さな小さな一歩でいいのです。 それを相手に悟られないほど実力が高いと想われます。 自然界を見てください。 彼らの愛は誠にシンプルで表面的な強要がありません。 それでいてその存在の必要性は今さら語る言葉など用意しなくてもよいほどです。 ここに自尊心や利己心が頭を擡げてくると自分が自分が…と、すべての評価を自己吹聴(力自慢)したがります。 この時点で速やかに反省回顧が出来る人間になっておく必要があります。 夢先案内人の目標値は調和の徳性であります。 主役ではなく名脇役なのです。 大きな舞台での大脇役です。 時代の流れすら動かしかねない重要な天職を担う天使たちの再来(光臨)なのです。 それなりの心づもりがないと一番最初に潰される運命にあります。 この心境を目指す徳者は、申し訳ありませんが自己評価を気にしていては天職は遂行し難いでしょう。 ましてや自己吹聴(力自慢)に走るようでは失格者であります。 競争原理は徳性開発に臨む以前の問題で、何の気力も無い人生の停滞者たちが、人生という長いマラソンに向かうためのスタートを切らせるキッカケとして必要であります。 しかし謙虚の徳性において自らの意志で明るい未来に進めるようになったなら、そこで反省回顧を通した後に、次なる段階である調和の徳性に入ってゆくことになります。 ここではもはや他者との競合ではなく、目指すものは協合(協和)であり調整であります。 心と心の調和を臨む者が、自我の強い歩み寄りをするのであるなら、そこに起こされるものは一方的な強要であります。 ましてや両者が共に自我が強ければ、そこには自由と自由の相克が生じてくるでしょう。 お互いに善意であるにも関わらず自我の強い自論を優先した着眼点には、譲歩という共通点が見い出し難いのであります。 ここは一段高い徳性を有したものが、相手との平衡(バランス)を採りながら、絶妙な教導を施す必要があります。 それだけ『平衡』の徳目は高度な御業であるということです。 人生に迷い悩むものには適切なアドバイスを…。 小さな努力で一生懸命に生きている人には気付かれないほどの軌道修正を…。 世のため人のために生きている人には力強い後押しを…。 人生の迷妄者には行く先を示す教導を…。 自我我欲の歪んだものには臨機応変な一喝を…。 あなたが夢先案内人であるのなら、相手の個性(現状での性質)に応じた相互の心の絶妙な間合い(距離間)を保ちつつ、常日頃から天職に勤しむ心掛けを貫くべきなのです。
相手の心と一つになったなら、時に応じ所に応じた心入れが出来るようになるでしょう。 相手の気持ちを考慮して、そこにさらに深い洞察を入れて、その人の気持ちを配慮する心掛けが必要になります。 そうしてそのままの心で相互の気持ちが融け合えば、言葉なくしても心が通い合い、時に応じ所に応じた想い入れが現れてまいります。 これを端的な言葉で言えば『親切』というのであります。 本来の親切とは深く切なる想い入れである…。 誰かに親切を施したいと思いながら、自己の都合で他者への親切を押し売りするような人も稀に出てきます。 そうした人は未だ自我の克服が出来ないまま、親切という偽善を重ねるのであります。 あなたが徳性を育む求道者であるなら、常に相手の心根を想い遣り、自身の内なる良心に問い掛け、自我ありや否や…を常に自問自答した上で、彼にとって最もよき心入れは何であるかを考える習慣を付けるべきなのであります。 かくして『平衡』の徳目も奥が深く、どこまでも終わりの無い生長を重ねるのです。 |