106 神への信仰

 

俗に霊の姿を見たといって騒いでいる人もいますが、霊姿を見る目(霊眼)は霊を見るための触手の一つなのです。

もともと霊的実在である人間なので、少々努力すれば誰もが軽い霊力なら身に付くのです。

だからこそ霊力ぐらいで騒ぐ必要はなく、むしろ霊的な瞳が閉ざされている現状こそ悲しむべきなのであります。

太古の人々はみな霊的な触手を日常的に扱っておりました。

生活の中に神への祈りを習慣として行っていたのです。

大切な判断事などは常に神の御心を仰ぎ見て伺うことが常道になっていました。

つまり肉眼の目に見えない神の存在を、霊的な感性で認識していたのです。

心が清らかでなければ霊力は扱えないと言われておりますが、そこに正しき信仰心がなければ、清らかさは虚しく冷たい透明感でしかないでしょう。

そこに優しさ温かさが滲み出してくるためには、神の心を我が心として生きる基本姿勢を貫くべきなのです。

 

 

 

18 徳性開発 【融和】