02 解説【生命】

 

生命とは『生きる』ということ『生きている』ということです。

地上の肉体生命には生死があり、生まれるという神秘には死ぬという運命を兼ね備えています。

三次元の物資肉体的世界では長短はありますが、それぞれに寿命があります。

その限られた時間(いつくるか分からない寿命)に、人は苦しみを抱くこともあるでしょう。

おそらくそれは人間としての幸福を、地上界での生活の中にのみ見出しているからです。

そうした観点からすれば死はまさに幸福との別れになるわけで、予想の付かない死後の世界を前に、人は苦しみを深めることになります。

しかし人間の生命は肉体のみではなく、その肉体すらも生かし育む精神生命こそが、本来の人間の本当の姿なのです。

永遠なる時の流れの中で何度も生まれ変わり、決して消滅することの無い命、それが人間としての生命の実相なのです。

この生命の実相は、ルーツを辿れば実相の大神が出発点になります。

総ての生命は実相の大神から光の一部として枝分かれた、大神の分霊(わけみたま)であり、神の御心(みこころ)を引き継ぐ貴皇子(うづみこ)として生まれたのです。

これが常に魂の原点でなければならない…。

実相の大神とは、言わずとも知れた創造主のことです。

創造の大神は総ての生命の中に、生かし育む命(エナジー)として存在します。

つまり大神が存在しない事象(人・時・処)は無いということです。

三次元の地上世界を含んで、無限に重なる多重次元層の至る所に、実相の大神は愛なる意識で充ち満ちておられるのです。

その大神の意識に心の波長を合わせれば、すぐさま実相世界の生命が、泉の如く湧き出るのです。

我欲の蓋で泉の出処を塞がない工夫を、日々の努力精進として怠らないことが大切なのです。

人生に何らかの困難を抱えた人は、その事実を嘆き悲しむことよりも、心を光明化して原点回帰することで、実相世界から溢れ出す生命の流れを塞き止めていた蓋を見つけ出し、すぐさま介在物(蓋)を取り除く作業を始めるべきなのです。

生命の流れを塞き止めると、個性としての魂の器は苦しむことになります。

内部から止めどなく溢れ出す生命力は、常に何らかの衝動となって外部との出口(蓋)を揺さぶってきます。

しかし人間の表面意識側が怠惰の心で何もしなければ、内部の生命力は形を変えて現実世界に飛び出してくるのです。

そこには善悪の選別は無いといえます。

なぜなら真実の価値は究極の意味で価値中立であるため、善意にも悪意にも何らかの真意を込めて現象化するのです。

つまり現象せる総てのものには存在する意味があると言うことです。

そうであるからこそ排他の心からは真実の解決を導き出すことは出来ないと言うことです。

凡百の障害(苦難困難)には個人的な意味があり、その真意を受け止める意志(範囲)が個生命としての器量(責任感)である…。

また長らく生命の流れに蓋をしていると、徐々に内部生命と疎遠になってしまい、無気力・無責任・無関心の権化になりがちです。

そうした人が自己中心に入り込むと両極端な躁鬱状態に落ち込みます。

自己中心あるいは利己心に陥った人は、他のために生きる(人のために生きる)という志を立てて徳性を磨いてゆくと、再び内部から生命の光が溢れ出してくるでしょう。

これらのことは個人の精神改革のみではなく、広く社会の問題改革にも当て嵌まり、永らく人類が抱える民族間問題の根本解決にも充当するでしょう。

『むすび』の心なくして、根本解決は在り得ないということを人類は知るべきなのです。

生命の実相が現れたなら神の癒やしが始まると言われています。

これを正確に解釈すれば神の子としての純粋生命に戻ることによって、完全円満なる実相が現れるということで、本来は奇跡という名の神癒を乞い願う行為に没頭するよりも、生命の実相に魂の波長(生き方など…)を合わせ、神の子として人生を生きる決意と努力を実践することの方が大切なのです。

地上の人間社会には独特の倫理があって、生命の本質から逸脱する主義主張も多く、歪んだ民主化の精神的圧力に屈しながら、大半の人々が偽りの解答を受け止めて日々の生活を送っている…。

外部の情報の真価を十分に検証もせず、邪な企業戦略の罠に嵌まり、人間の生命を物質化する安楽思考を鵜呑みにするインプット型人間が増えています。

感情のコントロール(自己調整)さえ儘ならない人間が民主化を目指したとしても、奪い合いの政策が乱立するばかりで魂の成長は滞るばかりです。

人間の生命は魂の内部から溢れてくるのです。

その生命の実相を掘り起こす作業が徳性開発なのであります。

 

 

 

19 徳性開発 【積極】