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06 解説【神聖】 |
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地上に生きる人間にとって神聖とは何であるか…。 究極においての神聖は実相の大神でありますが、人間が魂の昇華を果たす過程では何を目標にして如何に生きるか…。 これはかなり重要な要素であり、大切な意味合いとなります。 神をも想わせる偉人たちの生涯は、神聖の徳目を追い求める者にとっては、この上ない貴き道標になりますが、歴史上の偉大なる導師たちを総て聖人君子と決めつけることは、彼らに対して失礼な行為になりかねません。 地上世界に生きるということが、どれほど困難で苦渋に満ちているかは、地上の歴史を変革された偉人であれば誰よりも心根に感じていたはずです。 一人の人間として生活を繰り成すだけなら、おそらく彼らは誰よりも深い平安を得られたでありましょう。 しかし偉人たちは自らの幸福を捨て去ってでも他者のために生きる人生を選択したのです。 その心は大神の御心と同じで、太極における人類救済を、地上倫理の真っ只中で実現してゆくという使命感そのものです。 だからこそ誰よりも多くの民衆に囲まれながら、地上界では誰よりも深い孤独を感じていたはずです。 それだけ地上倫理が天国倫理と懸け離れているがゆえに、その歩み寄りのために構築した架け橋は、時代背景に合った段階的真理になりました。 しかも現実的にも霊的にも悪思念から狙われた状態であり、それがゆえに一般人として生きる覚悟は並々ならぬ決意であるのです。 大志を抱いて生きる者は、高邁な理想なりの悩み苦しみを人生と供にするわけですが、生身の人間が持つ生活や人間関係から発生する悩み苦しみも当然のこととして受け止めてゆかねばならないのです。 そのような渦中にありながら聖人君子に祭り上げられたり時には偽善者呼ばわりされたりするのです。 地上倫理の片寄った主義主張の中に生きる人間(とくに知識人と言われる専門家たち…)の曖昧な評価こそ気を付けなければならない…。 実相世界に実在する大神の神聖は、もはや人間心では説明が付きません。 それを地上世界から仰ぎ見たときに道標と成り得るものは、自然界に息ずく生命の神秘でしょう。 人間社会においては形態(形式や実感など)が重んじられますが、自然界には霊態(循環や昇華など)が重んじられています。 肉眼の目で確認しなければ治まらない人間社会は空間論が主軸になりがちですが、霊眼でしか観えない自然界の連鎖大循環は時間論が主軸であるといえます。 本来の人間としての転生輪廻は、時間と空間を超越した生命倫理でありましたが、霊的世界の記憶が薄れた時代精神に埋没した人間は、この世(地上)限りの人生だけしか想起できなくなりました。 現代の高徳者たちは時代精神の歪みを変革しなければならないのです。 その使命感を胸に抱いて生きる徳者は、時折り自然界に目を向ける機会を用意して下さい。 色どり鮮やかな草花、凛立繁茂する樹木、優雅に流れる河川、雄大に聳える山岳、豊かに広がる海原、優しく総てを抱く青空、暖かく射し込む太陽、果てしない夢を語る宇宙…。 目に見える景観を通して、肉眼では見えない霊観を見るためには、時折り自然界の中で一人静かに心を遊ばせる時間も必要です。 都会の喧騒を離れ、人為の軋轢を忘れ、その身(心)を自然界の流れに融け込ませて、観念の世界と一つになったなら、その時にこそ実相の神々の声が貴方の心根に響いてくるでしょう。 まさに目に見える総ての景観が、貴方への尊いメッセージに変わります。 自然界に息ずく透明な心を持って、再び三たび現実社会に舞い戻り、雄々しく勇ましく歩む貴方であって下さい。 混沌なる時代にあって複雑な民意に紛れながらも、眈々と清らかな心を磨いて神々の聖言を受けられる精神を併せ持つべきなのです。 そうした高徳者をこそ真なるメッセンジャーとして、未来の心ある人々から偉大なる道標(心の糧)として求められることになるでしょう。 どうか貴方よ慢心せず、何処までも清らかなパイプとなって、実相大神の聖なる御言葉を清らかな神々の想いのまま人々に伝えていただきたい…。 そこにこそ神聖の高徳は、更に威厳ある七色の光を放つのであります。 |