|
20 解説【悟性】 |
|
人間の魂は永遠に生き通しの生命です。 この地上世界に偶然に生まれた訳ではなく、肉体の死を迎えて全てが終わる訳でもありません。 一生涯で得たところの経験と知恵を、魂の傾向性に刻み込んで霊界へ里帰りするのです。 霊界こそ魂の故郷であります。 地上世界に蔓延する唯物論や進化論は、人間の生命観に於いては間違っているのです。 この間違いに気付くことなく、自ら霊性を閉ざしたのも地上の人間倫理でした。 幾つもの負のスパイラルが人間観を盲目にしたのです。 だからこそ霊性を開くということが人間にとっての最初の悟りになるでしょう。 この最初の悟りが無いままでは、悟りの追求は何処までいっても不毛地帯であります。 かくのごとく人間としての悟りは霊性開花の無いまま、結果としての悟りを求める人が後を断たないようになりました。 知識量や回数や日数など、幾つかの課題をクリアするだけで認定証が貰えるような悟りも横行しています。 本来の悟りは結果ではないので終わりはありません。 むしろ悟りはプロセスであるからこそ、無限に永遠に深め高め広げる領域があるのです。 そのため既に私は悟ったという結果としての悟りは在り得ないのです。 ゆえに悟りは悟性という徳性(プロセス)として、永遠に追い求める魂の課題なのです。 本当の真理は『人間は神仏の子である』という只一つの真実です。 大いなる神から枝岐れてきた人間の生命は、数々の経験を通して得たものを手土産として、大いなる神の身元に里帰りするのでありますが、地上世界の鈍重な波動に魂を狂わされた生命は、個別の幸福追及に奔走するようになりました。 個人的な幸せ追求には限界があります。 限界のある個人的幸福を果てなく追求すると、他者との比較に於ける優越性に悟りを求める人も出てきます。 そして優越感と失望感を虚しく繰り返す人生を生きている…。 神の子の自覚は他者との比較差には無いのです。 むしろ自他一体の自覚の延長にこそ神我一体の境地は近付くのです。 そのため自我(自分と他者とを塞いでいる心の壁)を超越することが、悟性を磨く唯一の道であります。 そしてこの道が徳性求道者を、慢心の魔の手から救い出す命綱になるでしょう。 自分の幸福追求の為だけに生きてきた人が、他の人たちの為の人生に廻向した時に、運命の扉は音を立てて開かれるでしょう。 それまで傍観視していた守護霊も、そこで始めて手を添えることになります。 やはり地上人間の正しい主体性が無いと、人間は何処までも操り人形になってしまいます。 それを守護霊は注視して見守っているのです。 道を外し堕落する者が多いであろう時代の転換期にあって、悟りの段階を正しく辿ってほしいと切願している…。 貴方が霊性を開けば、守護霊の素直な声を聞くこともあるでしょう。 悟性を磨く者が時折り自問自答しなければならないことは《何の為の悟りなのか…》ということです。 自分なりの思考や行動規準を打ち立てて日々黙々と悟りを深めていると、何時の間にか手段方法そのものが現状の自分を保つための術になっていたりします。 戒律に拘って人間性を失った修験者も多いのです。 大切なことは神の子の自覚を深めることであり、そのための手段方法は無数にあるのです。 目先の課題克服は、ステップアップの一つであり、それに何のために臨むのかを時折り想い出す機会も用意しておくべきでしょう。 道は遠く遥かなる旅路であります。 駆け足で走っても息切れをしますし、休んでばかりでは進歩が感じられません。 日本には古来より中津瀬の精神があります。 これは仏教に於ける中道と同じであり、儒教に於ける中庸と同じであります。 現状の自分にとって、ちょうど良い歩みの速度は何なのかを顧みる習慣も持ち合わせるべきなのです。 そうした良き習慣を身に付けて見事に『むすびの大道』を踏破する貴方でありますように…。 |