06 寛大

 

それでは実相流転の法則に基づいて、仁徳を見失った場合の自助努力段階を説明します。

まず最初に取り組むべき徳目は『寛大』です。

これは生身の人間としての温かみを取り戻すということと、他者への対応に於いての心の暖かさを取り戻すということであります。

徳の高い人は、その人の近くに寄るだけで暖かな風を感じるはずです。

これは高徳者が放つ霊光(オーラ)を魂が感じているのです。

徳が高い人であればあるほど巨大な霊光を放っています。

なぜなら彼らは神の心に通じているからです。

人生には何かしらの問題を抱えて徳を失う場面も多々あります。

そうした時期には本人の生命の実相が岩戸隠れをしているのです。

人間の本来の本体でもある生命の実相を早急に岩戸の中から開放してあげなければならない…。

そのためには本来の生命の実相と同じ心を誘い水として岩戸に注ぐのであります。

その努力が習慣となって魂の傾向性にまで高まるなら、岩戸は静かに開かれて中から生命の実相が現れるのです。

生命の実相には窮屈な拘りも決め付けもなく制約も限定もありません。

大神の大御心は制限の無い寛大さであり、選り好みの無い寛容さである。

その基本姿勢が霊光(オーラ)となって放たれ、周囲に雰囲気(あたたかさ)を感じさせるのであります。

人間社会には様々な軋轢があり葛藤もあるでしょう。

そうした場面を高い知性(自力)で乗り越える人も多いでしょうが、総ての経過を大神に委ね(他力)運命を無条件で受け入れて歩み出す気力(絶体力…自他力)を怠らなければ、実相世界の全智全能なる神が、まるで合わせ鏡のように神力を発動されるのです。

ここに本人の自助努力が無い他力本願では神々は手を添えることが出来ないのです。

これが神界での約束事でありまして、地上人間の自主性を無視するなら何処まで行っても操り人形に他なりません。

そう言った意味合いで考えてみても、自由意志(自主性)に於いての責任は個人的な思考の中にある…。

この事実を強く自覚して人生を全うするべきであります。

仁徳は人間社会の中で育むべき徳性であり、たった一人で高め得る徳性ではありません。

相手が居ることで多角的視野が磨かれるのも事実なのです。

他者への配慮は自我の殻(思い込み)を超越しなければ永遠に出来ない利他行為であります。

相手の気持ちを察するからこそ現状を受け容れることが可能になります。

これが自己中心者に寛大さが有り得ない理由なのです。

現状の良し悪しを結果主義者が見れば明確な白黒採決をするでしょうが、そこに心境の変化(将来に対する可能性)を待てる心は、実相大神の大御心と同じ寛大さが働いていると言うことなのであります。

 

 

 

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