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08 人格 |
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次に見失った仁徳を取り戻すために必要な三つ目の徳目は『人格』です。 この『人格』という徳目は、本来の真人間としての人間らしさを取り戻すための徳目段階です。 地上の人間社会で生きている間に、物質肉体的世界の重ぐるしい波長に染められ、何時の間にか精神まで物質化してしまう人間が多くなりました。 これはどういう意味かと言いますと、生活そのものを物理的事物に頼ることが常態化して、人間本来の自己内部精神が軟弱化してしまったと言うことです。 軟弱化した精神力は生命の神秘を忘れ、命の煌めきを失わしめて生きたままの状態で植物人間になっている…。 何の喜びもなく時めきもなく、日々同じ生活を繰り返して何ら魂の成長を感じさせない毎日が続いているのです。 生命力の涸渇した人間は生きる屍であります。 無意識無表情無関心の生活は、ますます人間を個別化して孤独の淵に追い込むでしょう。 人混みの雑踏の中を歩きながらヒシヒシと感ずる孤独感は、彼を何処に向かわせ何を成さしめるのか…。 さらに孤独化へと誘引する娯楽が増え、成長期にある若者たちの社会性を崩壊させつつあります。 個別の時間を楽しむ者は、社会人として様々な人間関係に触れる人が一時の魂の休息を余暇に求め、心の洗濯をせんと一人で静かな時間を楽しむからこそ意義があるのです。 そのような精神は肉体を蘇生させ、新たな活力を与えてくれるはずです。 こうした話から伝えたいことは只一つであり、精神主体の人生を生きよ…と言うことであります。 人格の彩り(個性)や美しさ麗しさは、物質肉体の姿形や組成状態では無く、精神の彩りであり美麗であります。 生命の実相が人格(純粋個性)を通して物質肉体に反映されることで、人間としての真なる美観が発動するのです。 そこから人格者としての立ち居振る舞いや尊厳が生まれるのであり、真人間としての美しさ麗しさが発揮されるのであります。 人格というものを誤解している人は、人間の精神を見ようとしない人である…。 地上的な地位の高さや財産の多寡などに翻弄されて、本来の人間らしさを見失ってはならないのです。 『人格』を磨くためには精神力を高める必要があります。 そのためには精神主体の生活を心掛けるべきであり、指揮統率者(適時調整者)は常に精神であらねばならない。 肉体主体の生活は精神を軟弱化させて身体的な甘えに屈するなら、経済管理も時間管理も本来の心が行えず、肉体的暴君(身体的な甘え要求)に対して隷属的立場に立たされるだけなのです。 運動するも休息するも、勉学に励むのも遊楽に浸るのも、精神主体の自己管理調整であるべきであります。 そこにこそ人格者としての香り高さや、高貴な霊光(生命の実相)を感じるでしょう。 |