|
13 浮揚 |
|
仁徳を体現した者が更なる高揚を望むなら、次に取り組むべきものは『浮揚』の徳目であります。 浮揚は単なる向上心ではなく、他を押し退けて先頭に立つような独りよがりの勢いでもありません。 精神面の昇華には正しい浮揚の原理が必要不可欠です。 人間が一人では生きられないことは誰もが承知の事実です。 地上世界に生まれる時、肉体の死を迎える時、また霊界に里帰りする時…。 どのような時節に於いても他者の存在との関わりがあるのです。 神は人間を個性として創造されましたが、同時に本来の個性とは何ぞやという命題をも個々の命に隠し持たせたのです。 他者の存在を(その関わり合いを)通して、大いなる神の意図を見い出してほしいとのメッセージが、総ての生命の奥底に据え置かれています。 大抵の人はそれに気付かないまま一生を終えて行くが、霊界に里帰りした時点で自分の人生を回想することになります。 一人では生きられない人間が独りよがりの人生を生きていたことを反省している魂は多いはずです。 真なる生長は単体の個性のみでは果たされないのです。 これは個性体の生長そのものを否定するものではなく、むしろ何のための個性の進化であるかという意図の方にこそ重要な解答があるということであります。 太宰治の小説(蜘蛛の糸)に見えるように、他を押し退けて自分だけ助かろうとした瞬間に、頼みの糸は儚く切れて奈落の底に落ちて行くのであります。 ましてや高い所から落ちたものは、より深い暗部にまで落ち込み易い…。 こうした陥落の対局にあるのが浮揚の原理であります。 人間関係は大海原の如くウネリ(時代)を繰り成しながらバランスを保っています。 波間に浮かぶビーチボールは大波小波に身を任せて漂っている。 そのビーチボールは空に憧れて跳び上がりたいが重力に従って波間に揺れることで精一杯である。 しかしビーチボールは身を屈めて周囲の波を押し上げんと努力した時に、かえって周囲の波がビーチボールを押し上げるのです。 これが人間関係にも通ずる浮揚の原理なのです。 周囲の底上げを敢行するためには謙虚に身を呈して対応する必要があります。 美しく可憐な草花を親身になって育てる人を、やがて草花たちは美しさや麗しさで愛情返ししてくれるでしょう。 自らの体裁を気にせず人のために生きる人は、周知の尊敬や恩恵を受けて多くの同朋から自然に擁立(押し上げ)されることになります。 人徳とはそのようなものであり、それらの意識が天地に通ずれば人徳は仁徳となって数多の神々にも擁立される高徳者になることでしょう。 浮揚の原理は何処まで我欲を棄てられるか、無心で他者の幸福のために生きられるか…で、その向上進化の度合いが分かたれるのであります。 |