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20 希望 |
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常に新生を目指す者には『希望』が無ければならないでしょう。 道は長く険しいけれども、諸々の問題も途絶えることなく巻き起こってまいります。 他人が敷いたレールを辿るだけでも何事もなく時だけが過ぎ行くわけではありません。 ましてや先人未踏の荒野を進むのであれば、想定外の障害が起きて当然なのです。 地上世界には価値観の違う人々が身近にも犇いています。 それでも公として体裁を合わせられるなら大きな問題は起きにくいかもしれませんが、欲得願望の果実を食した現代人は、自身の感情を調整しずらい方向に合わせがちです。 したがって民意を纏め譲歩することが困難になっています。 自ずと人間関係は複雑怪奇となり、普段の生活の中に身近な問題が氾濫するのです。 そうした中で気持ちが萎え、心を塞ぐことも多くなるでしょうが、目先の問題が困難極まりないものであっても、決して諦めず活路を見出す努力を怠らないならば、いつか必ず道は開かれます。 その時々に必要不可欠なものが『希望』であります。 『希望』があれば人は歩き始めます。 『希望』があれば心に温かみが戻ります。 『希望』があれば明日を信じて今日を生きられます。 『希望』があれば人は困苦の壁にも立ち向かうでしょう。 その時に『希望』は夢と同語になり、行動に於いては勇気になります。 明日をも知れぬ我が身を気遣い、目先の問題に立ち往生して悶々と闇に伏すことなく、遠くに見える灯火を信じて、小さくても前向きな一歩を踏み出す気概が大切であります。 その第一歩を踏み出させる力が『希望』にはあるのです。 霊峰富士の高嶺に降り積もった雪が溶け、山肌に染み込んで伏流水となり、数十年の歳月を地下水として生きた聖水が、やがて富士の麓の湧き水として日の当たる場所に顔を出します。 聖水たちには『希望』があります。 必ず太陽の下に湧き出ることを信じて止まないのです。 永らく地下水として生きた(流れた)ことで不純物を拭い去り、清らかな聖水として新たに生まれ変わったのです。 人間も魂が肉体に宿り、数十年の歳月を地上人間として生きて、その時々の人生の課題を克服しながら、神の子の自覚を深めてゆくのです。 人間生活の中で培った経験が僅かでも魂の生長に役立つように、神の子の自覚を深める方向に徐々にでも軌道修正してゆくべきなのです。 その為にも『希望』という名の命綱をシッカリと握り締めて下さい。 これが新生の徳性を体現するための五大要素の一つである『希望』の附帯理由であります。 |