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26 置換 |
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反省回顧ということに於いて、反省(顧みる)剥離(切り捨てる)と進めてきたならば、次に取り組むべき段階は『置換』(悔い改める)であります。 反省という言葉を知っている人は多いけれども、他人事のように見つめ返すだけで終わってしまう人も多いのです。 また反省という作業をしている人も多くはなってきたようですが、自らの過ちを認めて落胆するだけで終わってしまう人も多いのです。 自分の悪しき部分を懺悔して責任を取ることは当然の成り行きですが、それだけで反省が終了してしまうなら、世の中に廃人を増やすだけのことです。 現代のマスコミは政治家や経済人たちの過ちを厳しく追求して、その責任を取らせるために退陣ばかりを迫っています。 同じ政治家同士でさえ、お互いの粗を指摘してライバルを排除することを公衆の面前で行なっています。 過ちを認めることは重要ですが、その過ちを懺悔して、本来の成すべきであった本当の自分を見つけ出して偽りの自己を否定し、本当の自分を肯定して偽を真に置換することが反省の本義であるはずです。 ここに於いて始めて暗雲低迷の霧が晴れ、閉ざされた運命の扉は開かれ、日の当たる場所(公道)に立ち返ることが出来るのであります。 イエスキリストは『汝ら悔い改めよ…』と言いましたが、この言葉の真意は、本来の神の子としての本当の自分に立ち返れと言っておられたのです。 これは悪魔に魂を奪われた偽善者たちに対する一喝でした。 偽物の我れを何時までも掴んでいないで捨て去りなさい…と。 そうして本来の善なる我れを強く肯定して(受け入れて)生きてゆきなさい…と。 さらに『真理は汝を自由ならしめん』と高らかに宣言されたのです。 魂の真なる開放こそが、真実の愛を素直に現すための登龍門であると、イエスキリストは悟っておられたのです。 反省を始めると何時までもジメジメと自分を虐めて、なかなか自分の過ちを許せない人が居ます。 彼は他者に責任転嫁をするわけではありませんが、自分を責めることで敬虔な態度を貫こうとしているのです。 反省は自他の悪事を暴くためにするものではなく、神の子の自覚を深めるためにするものなのです。 したがって一早く過ちに気付き、魂に於いて否定(偽りの我れ)と肯定(本当の我れ)とを通して進んで心を悔い改めるべきなのです。 それによって今まで気付かなかった羅針盤のズレを修正して、本来の目的目標に向かって力強く歩み出せるのであります。 反省回顧の段階として@『反省』顧みるA『剥離』切り捨てるB『置換』悔い改める…と、順番に説明してまいりました。 ここまできてもまだ新生の局面には入っていないのです。 そればかりか反省回顧の完成にも届いてはいません。 それだけ反省回顧が安易なものではないということを物語っているのであります。 |