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新生の徳性を通して三観指針を語ってみたいと想います。 古事記の神話によりますと、黄泉国から帰還された伊邪那岐命は禊払いを敢行されたわけですが、その最後に生み出された神が三貴神と言われる天照大御神・月読命・建速素戔嗚尊でありました。 伊邪那岐命はそれぞれの神に統治する場所を任命したのです。 天照大御神には高天原(実相世界)を、月読命には夜の国(精神世界)を、建速素戔嗚尊には海原の国(現象世界)を、御言葉によって委任し預けたのです。 この神話から得られるものは、物事の真相は原点に於いては一つであるが、現われに於いては多岐に渡るため、真相を正しく解明するためには複数の視点を持つ必要があることを物語っています。 翻ってみれば宇宙の二代原理は陽と陰(繁栄と調和)であり、これを霊的観念に当て嵌めると天(天国)と地(地上)になります。 つまり天(実相)と地(現象)との相関関係は本来は切っても切れないものですが、この事実さえも忘れられがちなのが地上人間の性かもしれません。 原因結果の法則(因果の理法)は何人も覆すことは出来ないものですが、人々はその原因を自身の外部に起因(責任転嫁)させようとします。 現象世界に現れてきた結果には必ず元なる原因があります。 それが悪痕と名の付く迷いの主因であるか、善根と名の付く理想の出処であるか、種に当たるものはケースバイケースかもしれません。 しかしそのどちらに於いても見失なってはならない真理があります。 天国には天国の環境から根付いた幸福論がありますが、地上世界には地上世界に基づいた幸福論があるわけです。 そうしてそのどちらに於いても捨て去れない意義があるからこそ、創造主は人間を主体とする総ての生命に転生輪廻という往復切符を授けているのです。 霊的視点も現象視点も学びの領域は無限にあるわけですが、もう一つ重要な観点があります。 それが陰陽の二代原理を歩み寄せる融(段階論)なる視点なのです。 ここで冒頭の古事記の神話に戻りますが、伊邪那岐命は大祓禊の最後に三貴神を生み出されたわけですが、天照大御神には高天原(実相世界…陽)を、建速素戔嗚尊には海原の国(現象世界…陰)を、そうしてもう一柱・月読命には夜の国(精神世界…融)を言葉にて権限委譲されたのです。 三貴神は伊邪那岐命の左目(天照大御神)右目(月読命)鼻(建速素戔嗚尊)から生み出されたということですが、宇宙の進行原理からすれば左進右退(時計回り)が根本原理であり、左は常に元なる原因(実相)であり、右は左の現象化(流動)であります。 そうして鼻は自分を指すもので、これは個性化としての結果そのものです。 こうした相関関係は化学的に説明すれば水の三態に例えられます。 水の粒子は本来は蒸気(分子としては自由な存在)ですが、大気に冷やされれば水滴となって大地に降り注ぎ、さらに冷やされたなら氷になって固まります。 しかし自由自在な蒸気も、流動的な水の流れも、凝り固まった氷であっても、すべて同じ水の分子に変わりありません。 人間の生命も同様で、神の子としての生命の実相が本来の姿でありながら、変幻自在な霊的流動体としての姿を持ち、時として地上世界に個性体として生まれ出るのであり、それらの総ての相に大切な意義が隠されています。 そこに人間を転生輪廻させることを確定された創造主の重要な意味があるのです。 新生の徳性を磨く過程に於いて、こうした隠された意義を一つづつ見つけ出すことが反省回顧であり、見い出した意義を正しく施行することが新生の局面であります。 |