03 崇高

 

優美の五大要素の三つ目は崇高であります。

唯一絶対の神は比肩するものが無いからこそ実相大神であり得るのです。

個別単体のものには究極という言葉は許されないのであり、それは相対世界には有り得ないということです。

総ての生命は実相世界に於いて一つであり、その実相に帰依することで対極なるものは無くなります。

そこに存在する意識には個性に応じた役割があるだけで、実相大神の分身分霊として『むすびの大道』を生きるのであります。

向かうべき方向も、成すべき目的も、本来は一つなのです。

その統合意識の統率者が実相大神であり、生命の実相に於ける一人一人の人間であります。

これは迷い多き人生に生きる人間ではなく、迷いを超越して生命の実相を悟った人間であり、その悟りの下に人生を神と供に生きる人間であります。

だからこそ実相大神には比肩するものが無いのです。

創造の太初に光が現れ、その後の役割のために陰と陽とに岐れたわけですが、これは創造神の統合意識に元ずいた陰であり陽であるわけで、これら陰陽の両極に於いても比肩するものではないのです。

男性と女性・時間と空間・遠心と求心・左と右…。

こうしたそれぞれの極は、助け合い協力し合い生かし合ってこそ実相に超入出来るのであります。

そうしてその時に生命の実相が現れ、その実相は大神の神体の一部であるからこそ、すでに比肩するものは無くなるのです。

大自然の中に凛立する樹木たちも、年輪を重ねながら互いに背い比べをしているかに見えますが、大いなる神の瞳から見れば総ての樹木が神体の一部であり、神の子としての貴い命に他なりません。

紅葉の季節ともなると尚更のこと、どの樹木の彩りを見ても不必要なものは一つも無い…。

ここにこそ崇高は感じられるのであります。

こうした話から逆算すれば、優美を測る尺度は本来は三次元の物理的形態の中には無いということです。

それは大きさでもなく高さでもなく、広さでもなく順序でもなく、重さでもなく多さでもなく…。

形態の大小増減を超越した生命の実相が顕現すれば、崇高なる実相大神の生命が流れ出てくるのです。

どれだけ形態を工夫しても、そこに生命の実相が流れていなければ本来の優美は感じられないのです。

つまり生命の実相に努めて波長を合わせることで、どんなに簡素な形態であっても、質素な暮らしであっても、軽微な言葉掛けであっても、優しさや美しさを感じられると言うことです。

生命の実相にこそ崇高がある…。

優美の徳性も実相大神の神体の一部であるからこそ、徳性開発に臨む者は崇高なる想いを追い求めるべきなのです。

優美の徳性を体現する為の五大要素の三つ目として崇高について語ってみました。

 

 

 

21 十大理念 【優美】 【勇気】