07 優雅

 

優美の理念を体現するために最初に爽快という徳目をお話しましたが、次に取り組むものが『優雅』であります。

これは言葉を変えれば『しなやかさ』と言うことです。

この徳目も現代人が忘れがちな精神であります。

優しさは『しなやかさ』がなければ表現しずらい精神なのです。

優しい心持ちを濁らすものはトゲトゲしさであったり、規制や仕来りに拘る心の狭さであったり、我流の強要であったりしますが、これらは生命の本来の自由意志を履き違えることから巻き起こってまいります。

愛というものは執着に落ち込むと溺愛となりますが、真実の愛は生命の尊さを悟るがゆえに、むしろ愛する対象を放つ(自由にする)のです。

しかしここにも誤解が多く、放つ愛を単なる放任と決め込むと間違った愛に落ち込みます。

愛は単純な放任ではなく総ての責任を受け止める大愛です。

自他一体の自覚こそ愛の真髄である…。

そうであるならば運命共同体としての責任享受こそ、放つ愛の真骨頂でなければならないのです。

そこに必要な精神こそ『優雅(しなやかさ)』であります。

『優雅』は何処までも連なる大海原のように、大らかに寄り添い合う波模様に例えられます。

時として高まり荒まった気持ちも、隣接する波が吸収し打ち消し合い、やがては大凪ぎに向かいます。

大きな波うねりを運命共同体として受け入れて、大自然の大調和へと誘い合う大らかな海原の心…。

これこそが『優雅』の徳目(しなやかさ)の正体であります。

水の粒子は自我(付着物…汚れ穢れ)を放棄したときに本来の謙虚さを取り戻し、更に周囲の自我堅持者には影に日向に手を差し伸べて大調和へと誘うのです。

本来の謙虚さを取り戻した徳者たちは自分の立ち位置を知っています。

自らは乱心者にはならず、むしろ乱心者たちを助くる側にいることを知っています。

そのためにも心を鎮めて優雅な立ち居振る舞いを心掛けるのです。

もし貴方が荒れた気持ちを引きずるなら、広く横たえた大らかな青海原を想い出して致だきたい…。

そうして大きく深呼吸をして自らを顧みることです。

心の中に問い掛けて守護霊の声(答え)を聞くことです。

その基礎研鑽を怠りなく続ければ、守護霊は必ず何らかの方法(気付き)で応えて下さるでしょう。

また『優雅』は貫くことで人間としての美しさになります。

かつて神代の時代に『優雅』は美徳として重んじられました。

調和国家を目指した大和国には『優雅』としての立ち居振る舞いが人徳の測りでもあったのです。

この『優雅』の徳目を人間は取り戻さなければなりません。

この地球という名の多国籍軍を、国境を取り払った大家族にしなければ真なる平安は有り得ないのです。

そうしてこれは一人一人の心に『優雅』の徳目を蘇らせることで実現します。

優雅さを日々の心掛けとして生きるだけでよいのです。

何も難しい理論も理屈も必要ありません。

 

 

 

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