12 浄化

 

優美の理念を体現して更に徳性を高めるために『源泉』という徳目を説明しましたが、その次にくるものは『浄化』であります。

自然界は常に原点にある美しさを取り戻すために自然の浄化作用を繰り返します。

人間の肉体をみても体内に悪しき細菌が入り込んだだけで、すぐさま白血球が駆け付けて排除作用を始めるのです。

本来の肉体はクリアな状態が基本であるため、悪しき細菌が体内に発生した時点で直ぐに浄化作用が始まるのです。

このことは人間の精神面に於いても同じなのですが、思考の自由意志を与えられた人間には習慣化による慣れ親しみがあり、この機能が間違って行使されると、精神面の汚れ穢れにも馴染んでしまい、本来の浄化作用を不必要なものにしてしまうのです。

そうであってはならないのです。

心の清掃浄化こそ日々の習慣にするべきであり、常に汚れ穢れを放置しない心掛けが大切であります。

優美の徳性を磨く者は尚更のことで、美しさを維持継続しながら更に磨きをかけるためには、他者からは見えない心的浄化をこそ人知れず積み重ねるべきであります。

それが日々の習慣になれば苦慮も困難も感じないはずです。

イエスキリストは時おり『汝ら悔い改めよ…』と言われたはずです。

他人を妬んだり恨んだり裁いたり、自分の不運を嘆いたり悲しんだり呪ったり…。

こうした思考で心は穢れ、スモッグ(ストレス)で先き行き(将来)も見えず、愚痴不平不満で溢れた捌け口を周囲に撒き散らす行為は、単に心の清掃浄化を放棄した人間の惨めな末路なのであります。

そのような悪しき習慣を断ち切って、日々心の清掃浄化に取り組む良き習慣を積み重ねなさいと言うことを、イエスキリストは『汝ら悔い改めよ』という言葉をもって一喝されたのです。

優美の徳性が精神面に具わり、更に精度が高まるにつれては尚一層の微細な努力精進を要します。

人類史上の導きの聖者たちには自身の心に一点の汚濁も許さない清らかさがありました。

他者に対しては赦しと寛容を用いて導きながらも、自らの言動は人々の手本となり見本となるため自身の心の清掃浄化は厳しく行ったはずです。

周囲への言動による影響を考えれば当然の徳行ではありますが、それを正しく実践出来ること自体が聖者の証でありました。

心の清掃浄化を日々の習慣として、人間の本来の美しさを常に取り戻しながら、更に優美の徳性を高め深める貴方であれ…。

これは一日中を全て心の浄化に費やすということではなく、むしろ反省回顧をズルズルと長引かせないための日々の清掃浄化なのであります。

どのような修行道であっても、その道の達人は良き修行とはいえズルズルと長湯に浸かることはなく、むしろ簡素に眈々と行なって生活にユトリを持ち、弟子たちの教導に於いても心に余裕を持って接しておられる…。

中途半端な求道者ほど心に余裕がなく精神が不安定になっています。

 

 

 

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