13 充満

 

@『源泉』A『浄化』と語ってまいりましたが、その次の段階として『充満』の徳目について説明しておきます。

優美の理念の原点に立ち返り、それを起点にした心の浄化を果たしながら、人生という大きなキャンパスに美しい絵柄(人生観)を満たしてゆく…。

ここに人間としての存在意義があります。

人生には苦難困難が付きものですが、この苦難困難を前向きに対処しながら克服することによって、貴重な智恵と教訓が魂の記憶となって身に付くことになります。

こうした体験から得られた人生観は、人間としての美徳となって輝きます。

この人間の美徳が魂の傾向性となれば、来世以降の転生輪廻(生まれ変わり)に於いても善果として魂を輝かせます。

人間としての美しさは人格形成の過程を経て増してゆくものである…。

ここに性悪説も性善説をも超えた魂の真実が見え隠れしているのです。

人間の本質が善であるか悪であるかを論争していた知性の時代は終わりを告げようとしています。

こうした白黒裁決が生身の人間を機械化していたことに気付いた人は、霊性の時代を先駆けた徳者だけでありましょう。

本来の人間には自由意志があり、善にも悪にも入り込む自由がある中で自発的に善を採り、如何に最善を尽くすのか…。

ここに永き転生輪廻を超越された大神の公平な大御心が存在するのです。

その時間の流れ(キャンパス)に善を彩るか悪を彩るかは個生命の自由選択に委ねられ、その責任(自発的選択意思)を果たす過程を経て人徳を高める人々の度合(努力精進の成果)が公平な観点で測られて徳性の差となって現れているのです。

本来は時間も空間も大神の御神体です。

この大神の御神体(時空間)を個生命として辿る過程に何を彩るか…。

優美の徳性を目指す求道者であれば答えは一目瞭然であるはずです。

生活に美を追求することは悪いことではありませんが、形だけを装う美は『美』ではなく『備』であります。

本来の美しさは心の中にあり、その内在の美が現れてきたときに初めて外界(形態)も美しく輝くのです。

同じ装飾品を纏ったからといって、万人が同じ美しさを表現できる訳ではなく、心根の美しい人は宝石も輝いて観えますが、心の汚れを隠すために宝石を身に付けた人は生命の輝きを覆い隠す遮蔽物を身に纏っているだけのことです。

美的感覚の『感』が感覚器官の『感』ではなく、五感六感七観へと昇華してゆく観念の『観』として、正しい美的観覚となりますように…。

時間は永遠であり空間は無限であり、果てなき広大なキャンパスを貴方は何色で満たすのか…。

時には間違って濁色を付着させることもあるでしょうが、その時の対処として優美の『源泉』に立ち返り『浄化』をもって心を入れ替えて、また心筆(内在の美)を用いて人間としての本来の美しさを人生というキャンパスに充ち満たしていただきたい…。

 

 

 

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