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15 至高 |
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優美の理念を体現するための最後の徳目は『至高』であります。 人生の苦難困難を乗り越えて魂の本質(生命の実相)を見い出した者が、最後の極みを発揮するものは芸術なのです。 芸術の域には終わりがありません。 この終わりなき心境に達することが至高であり、その心境を生きる姿が芸術であります。 好い加減な具合で満足して、その後の歩みが疎かになるなら、また謙虚の徳性から遣り直さなければならないでしょう。 自然界に繰り成される芸術的展開には終わりが無い…。 水の流転・草花の生成化育・生命の転生輪廻・宇宙の秩序運行。 現象世界に於いて限りある物理的終焉も、理念や意図想念は引き続き霊的循環を経てまた新たな現象化を迎えるのです。 心の中には切っても切れない糸(生命の連鎖)が連なっています。 この生命観(生命の連鎖)こそ芸術的輪廻の根幹であります。 たとえ人間が何処へ生まれ変わっても、生命の芸術的根幹が魂の記憶に印されているかぎり、諦めず道を極めれば何時か何処かで懐かしい生命観に辿り着きます。 尽きない波の寄せ引きに太古の浪漫を観じるなら、時空を超えて届けられた悠久の想いに、人として揺れ動いた文化の薫りを目の当たりにするでしょう。 決して順風満帆では生きられなかった先人たちの智恵を、現代を生きる人々は無駄にしてはならないし、更に進化発展させた文明にして未来の若者たちに引き継ぐべきなのです。 芸術とは至高の神そのものです。 実相大神は、どんなに小さな命が懐く感情(喜怒哀楽)でさえも、自分自身の身体の一部として受けとめているのです。 一人の人間であっても身体の一部が痛いとか痒いのであれば、その部位に気持ちが滞るでしょう。 それと同じように貴方一人の悩み苦しみも実相大神は供に受けとめているのです。 そうしてどのような心境に立つ者であっても誰一人として大神は見捨てたことはありません。 たとえ大悪人に成り下がっている者であっても、自発的な大懺悔を永い時の流れを通して待っておられるのです。 こうした芸術的廻向も宇宙史の中では星の数ほど繰り成されてきた事実であります。 優美の理念を体現するために徳性を磨くならば、是非とも一度は達して致だきたい聖地です。 そうしてそれは相対の思考には無く、絶対一宇の統合意識に超入してこそ得られる達成観念であり、そこが個我を超越した実相世界の懐かしい故郷(生命観)であります。 優美の理念を体現するために『爽快』『優雅』『浸透』『柔軟』『素朴』『源泉』『浄化』『充満』『光輝』『至高』と語ってまいりました。 一つ一つの徳目を地道に踏み締めて、見事に実相世界の優美の理念に到達して致だきたいと想います。 |