16 優美@

 

優美の徳性を窓口として三観指針を語ってみたいと想います。

芸術を志す者なら当初は何らかの模範があり、師とも言える大家に憧れて、その作法なり行法なりを真似ることから学び始めるはずです。

芸術への追究を形から入ることになるわけですが、このこと自体は正論であり、むしろ正しい基礎研鑽であると言えるでしょう。

どのような道を求めたとしても必ず要求されるのは基礎体力であり、地道な積み重ねを厭わない基礎精神の堅持であります。

道を極めた大家は、ご本人の生まれ持った環境と境遇に育てられ、その中で培った精神を日々の鍛錬として習慣化しながら、やがて常人では届かない境地を開かれて道の大家となられたのです。

そうした大家の完成したものだけを一生懸命に真似る若者が多いのですが、本心から師に憧れて師の人格を尊敬するのであるならば、大家が着々と積み重ねた基礎研鑽をこそ真似て、大家が辿ったであろう基礎精神の段階をこそ踏み締めて致だきたい…。

そうした基礎鍛錬の遥かなる延長で、いつか大家と同じような心境に立ち、いつしか大家を越える日がくるかも知れませんが、そのような正しい道筋を辿った弟子が師匠を越えてゆくことを、道の大家は心から喜んで弟子の生長を讃えるのであります。

正しい基礎研鑽を積み重ねているなら、その果てに飛び出し滲み出してくるものは、本人の純粋無垢な個性そのものです。

その純粋個性が生命の実相として現れたなら人生そのものが芸術となる…。

あとはその高い心境を維持しながら更に何処まで高められるのかということで、その高みが常人では簡単に届かない高みであればあるほど、後から続く若者たちの輝ける理想となって時代を根底から底上げすることになるのです。

優しさに於いても美しさに於いても極みなく高めて致だきたい…。

好い加減な心境で満足する者は基準が自己になるため、弟子の生長にも頭打ちを入れがちで、芸術性にも妥協が多くなります。

実は妥協は芸術ではなく、生命の流れを堰き止める遮蔽物であります。

しかしこの妥協は三次元世界(地上世界)では有用で、有限の世界(物質肉体的世界)に住む人間には生長過程に於ける段階的な待避所に該当します。

その待避所(妥協)に安住する者は生長が止まり、一時的な避難所として扱う者は無限生長のワンステップとしての通過点になるのです。

このことは優美の徳性を体現する者は特に気を付けなければならないでしょう。

外形でしか判断出来ない社会の中で、如何に地道な徳行を積み重ねていても、周囲の見物客から見れば華やかな装飾程度にしか映らないのです。

そうした見解でしか見られない一般人の美的感覚は、優美の徳性さえも外形を揃えて整えれば何時でも身に付けられる宝石のように誤解しています。

 

 

 

21 十大理念 【優美】 【勇気】