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26 真実 |
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見失なった勇気を取り戻すために@『回想』立ち止まるA『確認』眺望する…ここまで来たなら次に取り組むものはB『真実』突き止める…になります。 ここで突き止めるものは真理そのものです。 本来の人間の選択肢は無数にあるはずですが、その選択肢を様々な個人的制約(自己限定)で狭めているのが地上人間の現状です。 それらの個人的制約を総て取り払うことが出来なくても、せめて心だけでも開放してあげられたなら、それまでの自分の考えとは違った世界観も見えてくる…。 ここで突き止めるものは本当の自分であります。 何物にも縛られない本来の魂の本質を取り戻して、神の子としての生命の実相を自覚することです。 そしてその自覚を深めることです。 本来の勇気は無尽に湧き出るものでありながら、その勇気を枯渇させたのも浅はかな人間の狭き心であったのです。 あれもダメこれもダメと自己都合で決め付けた限定が邪魔をして、大切な時節における決定が困難となり、成さねばならない重要事項を先送りしてきたのではないでしょうか…。 人間は肉体が主であると思い込んでいる間は様々な肉体的制約が限界になりますが、人間の本質(主)が神の子としての霊体であると自覚すれば、その信念に応じた自己展開が始まります。 それは影絵の元なる形を変えれば映し出される影の形が変わるのと同じ原理であり、現象として現れている数々の問題を解決したいのであれば、先ずは心から入れ換える必要があるということです。 実はこれが運命打開の秘策でもあります。 様々な人生苦の中で苦悩を引きずる人は尚更のこと、四面楚歌の状態を克服するコツは、肉体人間としての意識を超越する努力を始めるしかありません。 千里の道も一歩から…。 その最初の一歩は霊的自覚で自分自身を説得した上での一歩でなければならないのです。 その時に小さな小さな一歩が大いなる勇気(一歩)として輝くのであります。 自分自身を見失なった迷いのままの投げやりな一歩(一か八かの一歩)では不安や恐怖を拭い去れませんが、本来の自分(生命の実相)を見い出した上での小さな一歩は意義も確信もある大いなる前進であります。 そうした人の歩みは心ない中傷や批判などに屈することなく、二歩目三歩目を躊躇なく重ねるでしょう。 そうして確かなる足跡を後世に残しながら前人未踏の新境地を開拓するのであります。 神の子の自覚は誰もが努力さえ怠らなければ得られるものですが、その神の子の自覚を維持継続して深め続けるためには、やはり徳性を高めるための精進努力が必要です。 ここに凡人と天才とが分かたれ、感覚の切り替えや感情のコントロールなどを放棄するなら、肉体人間からも堕落して迷妄魔たちの格好の餌食にされてしまいます。 地上人間として最低限の努力(徳育)は決して放棄してはならない…。 このことは時代が変遷しても繰り返し語り次ぐべき重要な継承事であります。 |