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30 愛情 |
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勇気の徳性を体現して、さらに発展段階を踏みしめる為に、最初に取り組むものは心の調律であると語ってまいりました。 その次に心掛けるもの取り組むものは『愛情』であります。 自分本意の勇気は公に於いては蛮勇になりやすく、それでいて利己的感性は評価が得られないことに憤慨したり、自己力量の限界を感じて早々と意気消沈したりと、自らの限界が勇気の徳性を手放す契機になりがちです。 しかし真なる勇者は他者の為に生き、誰かを助け救い出す為に自らの命を燃やします。 ゆえに簡単な障害では諦めることなく、たとえ完膚無きまでに粉砕されようとも、自らの普段の努力が足りなかったのだと反省して基礎研鑽に励み、再び大きな運命の壁に立ち向かうのです。 何が彼をそうさせるのか…遠巻きの傍観者たちには分からないかもしれませんが、大敗を経験した彼が再び自分の力量を遥かに越えた苦難困難に立ち向かう理由は、ただ一途に他者への愛情を重んじるからであります。 誰かの悲哀(心の痛み)を感じられるからこそ何とかしてあげたいと想う…。 どんなに頑張っても浮かばれない人々の遣り切れない心情を感じられるからこそ、今の自分が出来る範囲で手助けしてあげたいと想う…。 そうした時に助けられなかった人々が居たなら自分の力量不足を嘆き、その悔恨をバネにして自分を鍛え、自らの自己限定を打ち破ってでも他者への愛を貫くのです。 またそうした彼の後姿(生き様・人生観)に感動して、挫折期にある者は立ち上がり、人生に躊躇する者は歩み出し、人生苦にある者は励まされて新たな日々に生きる希望を覚えるのであります。 愛を語る者は多いけれども、真なる勇気に繋がるものは少ないと言えます。 学習から得られる愛は知識であり、それは何処まで広範囲な学びを得ても材料の域を越えないのです。 真実の愛は実践することで相手に伝わります。 理屈を並べるだけの似非知識人にならず、行動が伴なった愛をこそ貫いて下さい。 愛が何たるかを知っているなら、その想いを眈々と手掛ける貴方であれ…。 その時点で見栄や酔狂があると愛は薄まり消滅してしまいます。 自我(見栄や酔狂)を薄めて実相に超入する者こそ真なる勇者として讃えられるのです。 人間の心の中に芽生えた想い遣りは他者との命綱であります。 供に同じ神の子として地上に生きる魂の兄弟姉妹であり、心の家族であることを想起させるために組み込まれた神の子としての命綱なのです。 この心の命綱を手離さない限り、貴方の勇気は愛の代名詞として輝くでしょう。 真実の勇気とは『愛』に他なりません。 真実の愛を貫いて前人未踏の大地を開拓する勇者の再来は、幾時代を越えて民衆が待ち望んだ最後の希望となるでしょう。 |