10 実践

 

判断の理念を取り戻すための徳目段階として『見証』『熟考』『真実』『深想』と話を進めてまいりました。

そうして最後に取り組む徳目は『実践』であります。

徳性開発は実践なくして有り得ないもので、最後の行為行動に至らなければ知識の集積で終わってしまい、実践の無い知識は屁理屈や不平不満として自己擁護に虚しく使われるだけであります。

またその逆に此れまでの四徳目(見証・熟考・真実・深想)を事前作業として行なわないまま行為行動に移すなら、その場しのぎで場当たり的な軽い考えの人間になってしまいます。

人間が万物の霊長と言われる所以は、物事を深く考える機能が具わっているからで、この思慮深さが浅いままでは限りなく動物に近い精神状態である…。

動物は基本的には自己都合で生きております。

人間も幼い子供の段階では衝動的に生きておりますが、成長する毎に様々な思考を重ねて生きる知恵を学んでゆくのです。

この思考が浅いまま社会人として世に出ると変人扱いされるのですが、近年は変人(衝動的人間・感情的人間)が多くなってまいりました。

実践(行為行動)の前段階として思考段階を持たないと(または思考段階が薄いと)言うことは、本来は万物の霊長である人間が限りなく動物化していると言うことなのです。

もっとハッキリと言うなら、思考も持たず実践もしないままでは、動物化に収まらず更に深刻な物質化に向かっていると言えるのです。

行為行動には前準備(思考)が必要であり、この前準備(思考)は実践することで何かしらの結果を伴なうのであります。

こうした相関関係が判断の理念(徳性)には存在する。

何事も実践してみて始めて知恵となり、更に思考を重ねながら再実践を繰り返すことで知恵から智恵(応用の効く知恵)に昇華します。

思慮が深いにも関わらず行動に移せない人も多いと思いますが、恐らく彼らに足りないものは他者への愛念であり、この愛念が薄いと判断基準が何時の間にか自己都合(損得勘定)に片寄るのです。

『実践』の徳目で難しいのは利己と利他の使い分けであり、ここにはどうしても経験値が必要になります。

経験から得た様々な智恵と教訓は、将来の自分と未来の人々を手助けすることになります。

自分の事ばかり考えている人は局部的な視野は鍛えられますが、他者への配慮に必要な広角視野も鍛えておかないと、何十年もの生涯を小さな箱庭だけの生長で終わらせ、膨大な心の課題(カルマ)を抱えて転生を迎え、残されたカルマ(悪業)は来世へ持ち越しとなるのです。

智恵と実践は車輪の両輪であり、その両輪を動かす動力こそ他者への愛念(配慮)であります。

この愛念が深ければ深いほど英断即決に繋がり、智恵が豊富であればあるほど忍耐辛抱(時期を待つ精神の溜め)に繋がります。

 

 

 

22 十大理念 【判断】 【継続】